当時、両社はそれぞれ「技術の日産」「販売のトヨタ」と呼ばれていた。だが、自動車業界で後発のトヨタ自動車を、日産自動車は非常に意識していたと肌附氏は振り返る。それを裏付けるのが、元日産自動車副会長の安楽兼光氏の次の言葉だ。
近岡 裕『日産 最後のサバイバルプラン 転落の真因と復活への提言』(日経BP)
「日産はトヨタ自動車に追いつけ追い越せを掛け声にし、量の拡大ばかりをやってきた。国内販売で首位が難しいとなると、次は輸出だ、それもダメなら北米で1位だといった具合だ。絶えず、拡大を志向し、数を追った結果、各部門が全体最適ではなく、部分最適に陥った」(2019年10月19日付日本経済新聞電子版「日産の再生は?20年前の大改革を知る7人に聞く」)。
経営体力に大きな差が生じているにもかかわらず、なおトヨタ自動車を意識して日産自動車がクルマを造り続ける点は、かつて仏ルノーからやって来たゴーン氏も日産自動車の課題であると認識し、社内に解消するように指示したと語っていた。
同時期にルノーから日産自動車にやってきて副社長を務めていたパトリック・ペラタ氏も、「日産自動車はトップのトヨタ自動車を見ながらクルマを造ってきた。それが日産自動車の魅力を失わせた」と述べている。ところが、業績を見事に回復させて成長軌道に乗ろうとする際に、ゴーン氏自身が再びトヨタ自動車の姿を視界に入れたようだ。
それを象徴するのは、2010年のリーフの市場投入である。トヨタ自動車がハイブリッド車(HEV)「プリウス」で成功を収めると、ゴーン氏は対抗する環境車として「日産はEVに力を入れる」と大々的に発表した。ところが、航続距離が短く、充電に手間がかかる点などが顧客に敬遠され、販売実績は目標を大きく下回った。







