「グローバリゼーションへの反発は、アメリカやほかの地域で起こっていた急速な社会変化によって増幅された。都市部では同性愛者の権利や同性婚などさまざまな事象の受容が進んでいた。そしてトランスジェンダー問題などが浮上した。ソーシャルメディアでは、こうした[グローバリゼーションへの]反対派が『これだ、たぶんこれを使えば、社会の変化に反対する人々と、経済の変化に取り残されたと感じている人々を結びつけることができる』と主張したのだ」とクリントンは言った。
新たな一歩を踏み出せば
人々は救われると彼は再び言った
気がつけば窓から差し込む真冬の日差しで部屋はあたたまり、元大統領の次の約束の時間が過ぎていた。別れ際、クリントンは棚から生物学者エドワード・O・ウィルソンの著書『人類はどこから来て、どこへ行くのか』(斉藤隆央訳、化学同人、2013)を取り出した。彼は身を乗り出して、ウィルソンは前回の大量絶滅以降、最も繁栄した種はアリ、クモ、シロアリ、そして人間、つまり共通の課題に対して協力して取り組む方法を見つけた生き物であることを突き止めたのだと語った。
「私のグローバリゼーションに対する立場はまさにそれなんだ。気候変動を含むあらゆる問題を解決する能力は、協力によって劇的に増幅させられる。文化やそのほかのアイデンティティの問題は、基本的には、私たちがこうしてここに座って、今のような活動を行う能力に対する挑戦だと思う」と彼は語った。「それらの問題にきちんと向き合い、対処しなければならないのだ」
『グローバリゼーションは失敗だったのか 下』(デイヴィッド・J・リンチ著、寺尾時彦訳、原書房)
クリントンは、ナショナリズムの高まりを克服できる「グローバリゼーションへの新たな一歩」を踏み出すときが来たと述べた。「選択肢は2つある。1つは、変化がないふりをすることだ。その場合、新たに得られる雇用より失われる雇用のほうが多くなる。もう1つは、変化を味方につけることだ」と彼は語った。「けれども自由主義経済を望むなら、投資パターンが変わることで敗者が出てしまう。政府の責務は損失を最小限に抑え、人々のために別の道を用意することで、成長を持続させることだ」
その主張自体は実に理にかなっている。ただ、その「新たな一歩」は、まさに30年前にクリントンが掲げ、ほかの政治家も追随した論理そのものだ。それはうまくいかなかった。グローバリゼーションはアメリカという国全体を豊かにした。しかし、その恩恵を広く分配する「義務」は、認識されていただけで果たされることはなかった。クリントンが取り残されることを懸念した人々は実際に取り残され、彼の遺した成果、彼の妻の野心、そしてこの国の未来に対する政治的な結末は、まさに彼が予言した通りとなった。







