2026年の衝撃新説:秀吉は戦っていなかった!?

 ところが、中京大学の馬部隆弘氏が発表した新説は、この劇的なストーリーの前提を覆すものでした。なんと「秀吉の本隊は、山崎の戦いに参加していない」というのです。

 事の真相はこうです。

 6月13日の夕刻の段階で、秀吉軍の先鋒を務めていた高山右近、池田恒興、中川清秀ら摂津の国衆たちは、すでに山崎の地に布陣していました。後方にいた秀吉は、「光秀が勝竜寺城周辺に放火している」という情報を受け、光秀が城に籠もって戦うつもりだと踏んだのです。

 秀吉はそう考え、急ぐことなく全軍をゆっくりと進め、包囲する構えでいたようです。

 秀吉が、そう高をくくっていた矢先、光秀は、秀吉の予想を裏切る行動に出ました。籠城するどころか、勝竜寺城から討って出て、積極的な攻撃を仕掛けてきたのです。

 目の前に光秀軍が迫り、大ピンチに陥ったのは、先鋒の摂津の国衆たちでした。彼らとしては「秀吉の本隊が到着するまで待ちたい」のが本音でしたが、待てど暮らせど秀吉軍はやってきません。やむなく、高山右近らが、中央から光秀軍に応戦し、池田恒興や中川清秀の軍が、左右から挟み撃ちにする形で、必死に光秀軍を追い返しました。

 国衆たちの奮戦によって、光秀軍を勝竜寺城まで押し戻したあたりで、ようやく秀吉の本隊が現場に到着した、というのが、新説の全貌です。

 光秀からすれば、摂津の国衆だけで手一杯だったところに、さらに巨大な秀吉の本隊が視野に入ってきたわけですから、「勝てるわけがない」と、城を捨てて逃亡する道を選んだのでしょう。

明智光秀を倒したのは、秀吉ではなく摂津の国衆だった……?(C)NHK明智光秀を倒したのは、秀吉ではなく摂津の国衆だった……? (C)NHK

 つまり、実際に血を流して光秀を破ったのは、秀吉ではなく、高山右近ら「摂津の国衆たち」だったということになります。