同僚とのやり取りを
乗客に悟られないための「隠語」

 ただし、無線は性質上、無線係とドライバーの会話が、車内にいる乗客の耳に届いてしまうデメリットもあった。

 センシティブな情報をそのまま口にすれば、乗客を不安にさせかねない。情報漏えいのリスクもある。そこで発達したのが、タクシー業界内だけで通じる独特の隠語だった。

 例えば、会社や地域によって異なるが、無線で使われた「大きな忘れ物」という言い回しには裏の意味があった。

 この言葉は、車内で不審な言動を見せている乗客や、事件を起こして逃走中の人物だと思われる乗客を指す。乗客の前で「犯人」「事件」といった言葉を出さずに済ませるための知恵だ。

 また、警察による検問や飲酒運転の取り締まりが行われていることを「工事中」と呼び、本物の道路工事を「本工事」と呼び分けるほどの徹底ぶりだった。

 乗客の前で「あそこ、検問やってるぞ」といった情報を無線で伝えるのは難しいが、「工事中」の一言なら聞かれても不自然ではないからだ。

 休憩や帰庫のための回送を指す隠語が「わかめ」だ。由来は、「回送」と「海藻」を掛けた駄洒落とされている。

 一方で、「わかめ」は泥酔客を意味することもある。酒に酔って千鳥足でフラフラ、ゆらゆらと歩く姿が、海中で揺れるわかめのように見えることから、こう呼ばれるようになったという。

 他にも、思いがけない長距離客を指す「おばけ」、大人数で乗ってきたのに短距離で降車する客を指す「てんぷら」、短距離ばかりで売り上げが伸びない状態を指す「コロ」など、独特の隠語が生まれた。

「おばけ」は「思いもよらぬ時間帯・場所に現れる珍しい存在」、「てんぷら」は「見た目(衣)は立派だが中身がない」、「コロ」は「タイヤを転がすだけの距離」といった由来があるようだ。

 無線という「乗客にも聞こえてしまう」通信手段だったからこそ、言い換えの文化が発達したのだろう。こうしたタクシー業界の隠語は、今でも一部で使われている。