個々の部品よりアーキテクチャが重要
「AI時代の常識」が東芝に追い付いた
さて、冒頭で述べた「AI時代」が、この破壊的技術である東芝のフラッシュメモリの思想にようやく追い付いたというのは、今のAIの高性能化開発が、個々の部品の技術よりも製品アーキテクチャ全体の性能の方が大切だという開発思想に移り変わってきたことと、同じ考え方だからだ。従来のスーパーコンピュータの開発では、個々のCPUなどのクロック周波数を上げるなど、個別の部品の性能を上げることを重要視してきたが、今日のAIの開発では個々のGPUの性能よりも、いかに大量のGPUやメモリを揃えて大規模なデータセンターを構築するかの方が重要になってきている。
AI時代の情報は数兆個近いパラメータを持ち、ひとつのGPUでは到底処理できないので、並列で大量のGPUを使う必要があり、むしろ1台のコンピュータを優秀にするよりも大量のコンピュータを並べた巨大なデータセンターのアーキテクチャの技術を構築するほうが重要になってきている。このアーキテクチャの技術とは、大量のGPUを並列処理をするときにいかに効率よく連携処理できるか、データセンター全体を作り込むことであり、個々の部品の技術よりもアーキテクチャの技術が重要になってきているということだ。
これは、舛岡氏のフラッシュメモリの考え方にも通じる。個々の半導体メモリを高性能化するよりも、大容量低価格化を重視し、システム全体で効率の良いアーキテクチャを構築する方が顧客のニーズに合致していると考えたのが、フラッシュメモリである。今日のAIでも、個々のGPUの性能を上げるよりも大量のGPUを並べて効率よく処理する方が、AIの性能が高まる。さらにそこには、それぞれのGPUに必要なメモリも必要であり、個々のメモリの性能を上げるよりも大量のメモリをデータセンターに導入する方が、全体として効率が良いということである。
日本のものづくりが個々の部品の良さで勝ってきたのは20世紀の勝ちパターンであり、現在は製品システムのアーキテクチャ全体の中でいかにバランスの良い製品が求められるかが重要となってきている。一見これまでの価値基準で性能が劣るからと言って、自国の技術の方が良いと考えるのは、まさにクリステンセン教授が言ったイノベーターのジレンマそのものである。
性能と価格のバランスに優れたNAND型フラッシュメモリを作った東芝があったからこそ、今日のAIブームがあり、その中で日本のキオクシアが健闘しているというのは、近年珍しく喜ばしいニュースと言えよう。
(早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)







