孫が見抜いた
本当の力
部下が自分で設定した限界を認めず、それより高い地点を当然の基準として突きつける。そこには、人間に対する楽観がある。
部下を甘やかさず、可能性も簡単には諦めない。全員に通用する方法ではない。それでも、人の可能性を安く見積もるより誠実である。
孫のマネをするなら、怒り方ではなく任せ方をまねるべきだ。成長後の姿を見て責任を渡し、成果が足りなければ直させ、変化が起きれば即座に認める。そこまで実行して初めて、厳しさに意味が生まれる。
この出来事から読み取れるのは、孫がロボットの専門知識だけで冨澤を選んだのではないということだ。困難な仕事から逃げず、求められた水準まで自分を変える力を買った。
その姿勢が表れたのが、8年前のレビュー会議である。
翌朝に変わった
孫の評価
「もうお前の顔なんか見たくない」
そう言われた翌日、冨澤はほとんど眠らず、資料を作り直した。月曜日の午前9時前、会議室に入る。資料には自分で適当に見積もった推定値が含まれていた。冨澤は再び怒鳴られると覚悟して説明を始めた。
孫は腕を組み、厳しい表情で聞いていた。説明が終わった瞬間、表情を崩した。
「よくやった!お前、この短い時間でよくがんばったな。やればできるじゃん」
計画は再び作り直しになった。孫が認めたのは報告書の完成度ではない。冨澤は後に、最初の資料では自分が全力を尽くしていないことを孫に見抜かれたのだと振り返っている。2度目の資料にも穴はあった。限られた時間と情報の中で、逃げずに考え抜いた跡はあった。
孫がOKを出したのは、報告書の出来が良かったからではない。
冨澤が、自分で決めていた限界を越えたからである。








