……そうやってパズルを解いていくと、この短編の比喩がわかってくる。

「赤ん坊」に間に合うのかと不安に思いつつ自らが母親になるタイムリミットを気にしている彼女に対し、僕は何も言えない。どこからか子どもたちの歓声は「聞こえて」くる(まるで父親カンガルーが「失われた音符を捜」しているかのように)。だが僕は踏ん切りがつかない。結局、僕は「ビールでも飲まない?」と言う彼女に「いいね」と言うことしかできないのだった。

 子どもを望みタイムリミットを気にする彼女に対して、僕は、何も言えないが父になることにどこか抵抗している。だから僕はチョコレート・アイスクリームを持ってくるし、そんなパートナーに対して苛立ちつつ彼女はビールを飲もうと誘う。

──「カンガルー日和」という爽やかな短編。実はこれは、子どもを持つことと夫婦のディスコミュニケーションをめぐる物語に読める。

『羊をめぐる冒険』の
「台所」が意味するものとは

「カンガルー日和」発表の翌年1982年に刊行された長編小説『羊をめぐる冒険』では、この「父になること」という主題がより強く打ち出される。

『羊をめぐる冒険』の主人公・僕は、第2章で妻と離婚することになる。この際、妻から子どもを持つことについて問いかけられる。

《「子供欲しかった?」
「いや」と僕は言った。「子供なんて欲しくないよ」
「私はずいぶん迷ったのよ。でもこうなるんなら、それでよかったのね。それとも子供がいたらこうならなかったと思う?」
「子供がいても離婚する夫婦はいっぱいいるよ」
「そうね」と彼女は言って僕のライターをしばらくいじっていた。》(村上春樹『羊をめぐる冒険 上』講談社文庫、1985年)

 さらに、もう1つ気になる点がある。『羊をめぐる冒険』には、ある規則が敷かれている――それは「女性が台所に立つと、物語から退場する」というルールだ。

 変なルールだと思われるかもしれない。しかし実際、そうなのだ。たとえば耳の女の子(耳がすごく魅力的な僕のガール・フレンド)は「絶対に家の中では食事をしない」と言っていた。つまり彼女は台所に立たない女の子なのである。だがそんな耳の女の子が、終盤でなぜか台所で料理をしていたらしい。