近衛文麿と同じカタルシス
物価高の怒りを消す「反中」

 1937年の日本は軍事費が膨張して、物価が急騰。庶民の暮らしは追い詰められていた。新聞には「狂う値上げの大津浪」「洋服、毛糸、お醤油もパンも」「月給袋は涙か溜息か」「悲鳴はあがるS・O・S」(大阪朝日新聞1937年1月17日)という生活苦を伝える見出しが踊っている。

 では、当時の日本国民は首相に対して、「物価高をどうにかしろ!」などと怒りをぶつけていたのかというと、そんなことはない。無策な政治家より憎むべき「外敵」がいた。そう、中国である。

 1937年に首相になった近衛文麿は演説の中で「暴支膺懲」(ぼうしようちょう 横暴な中国を懲らしめるの意)という言葉を用いて、国民の溜飲を下げた。こうして物価高や生活苦よりも「外敵の脅威」を示した近衛は、国民的人気を獲得。1939年まで首相を続けた後、1940年には再登板もした。

 このように「外敵を叩き潰す」というのは国家のリーダーにとって、国民に物価高や生活苦を忘れさせるほど強烈なカタルシスを感じさせて、大衆人気を一気に獲得できる「劇薬」なのだ。戦争を始めるときに支持率が爆上がりするのはこれが理由だ。

 支持率低迷に悩む高市首相がこの「劇薬」に手を出す可能性は高いと思っている。しかし、今の日本で近衛の「暴支膺懲」のようなことはさすがにできない。これに匹敵する「外敵アピール」と言えば、「靖国参拝」しかないではないか。

 そこに加えて、靖国参拝は「高市人気の土台」を回復できる。それが2の《靖国神社の春季例大祭、竹島の日で有言実行できず、岩盤支持層の心が離れかけている》だ。

 意外に思うかもしれないが、高市首相がまだ高支持率だった頃、昔から支援をしていた保守派の皆さんと話をすると、「あんまり期待できないね」という言葉がよく返ってきた。理由は「口だけ番長」だというのである。

 もともと保守政治家として、日本会議や神道政治連盟の支援を受けてきた高市氏。かつては、首相就任後も靖国参拝を続けることに前向きな発言をしていた。自民党総裁選では「竹島の日」の記念式典にも閣僚が出席すべきと言っていた。

 しかし、いざ首相になったら、毎年参拝していた靖国神社の春の例大祭は参拝見送り。「竹島の日」の記念式典に出席したのは、これまで通りの政務官クラスだった。