「ほしい」をめぐる
“ゆれ”と“使い分け”
以上のことを踏まえて、「欲しい」と「ほしい」について考えます。(4)と(5)は、それぞれ使い分けでしょうか、単純なゆれでしょうか。
(5)返事が欲しい/返事をしてほしい
(4)は「お金」と「地位」の違いはありますが、「欲しい」「ほしい」の意味はどちらも「自分のものにしたい」で、同じです。よって(4)は単純なゆれです。
一方、(5)の「返事が欲しい」の「欲しい」はやはり「自分のものにしたい」です。しかし、「返事をしてほしい」を「返事をすることを自分のものにしたい」では、意味が通りません。
こちらの「したい」は「返事をすること」を「してもらいたい」ということです。(5)の「欲しい」と「ほしい」は意味が同じではありません。(5)は使い分けと言えます。
なお、(5)で漢字の「欲しい」は「自分のものにしたい」という明確な意味をもっていました。それに対して、仮名の「ほしい」は、「ナニカをしてもらいたい」というもので、明確な意味とは言えません。意味が軽いので仮名書きなのです。
つまり、意味が同じでないから異なる書き方をするというだけでなく、「意味が明確な場合は漢字、意味が軽い場合は仮名」という基準に沿って使い分けをしているのです。
以上から明らかなように、「……して欲しい」ではなく「……してほしい」と書くのが理屈に合っています。でも、その理屈はどこから来ているのでしょうか。そもそも、なぜ「意味が明確な場合は漢字、意味が軽い場合は仮名」がいいのでしょうか。
それは、私たちが文章をどのように読むかということと関係しています。
皆さんは文章を読むとき、どのような読み方をしていますか。漢字を中心にして読んでいませんか。本屋で立ち読みをするとき、分厚い資料を斜め読みするとき、短時間で理解するために、目は漢字を追っているはずです。
それは、意味の明確な語が漢字で書かれているからこそ、漢字を追えば理解しやすいからです。その語自身の意味はあっても、その文での意味が軽いものを仮名で書くことで、漢字で書かれた意味の明確な語を、より鮮明に読み手の目に届けられるのです。







