それに拍車をかけるのがSNSだ。ひと昔前なら、張り合う相手は、せいぜい隣近所や同僚どまりだった。でもいまは世界中の金持ちやインフルエンサーの暮らしが四六時中スマホに流れてくる。競う相手が無限になったのだ。勝ち目はない。

見栄のための高級品が
自由な時間を奪っていく

 地位財のラットレースを続けるかぎり、幸せには一生たどり着けない。幸せを求めて手にしたはずのものが、かえって幸福感を欠乏させる。そんなパラドックスに陥るのである。

 地位財が招くのは幸福ではなく、不幸のほうだ。身の丈に合わない住宅ローンを組めば、毎月の返済に縛られる。背伸びして高い車を買えば、これまたローンや保険、税金といった維持費がのしかかる。ブランド品を買い続ければ、手元のお金はあっという間に飛んでいく。不経済の極みだろう。

 ゆくゆくはお金が不足するかもしれない。不安だ。となれば、ひたすら働くしかない。ワーク・ライフ・バランスなんて言ってられない。身を粉にして働いて働いて働く。とうぜん家族とゆっくり過ごす時間も、好きなことに没頭する時間も失われる。生活のクオリティは下がる一方。お金に追われて不幸になるのである。

 健康、生きがい、自由な時間―。そうした地位財の圧迫によって失われるものこそが、地位財の反対に位置する「非地位財」だ。

 非地位財は可視化できない。見せびらかすことができない。だからこそ貴重だ。比較優位ではなく絶対的な価値がある。人生の幸福感、満足感に貢献するのはこの非地位財にほかならない。

 地位財のラットレースに加わってはいけない。なにもあらゆる欲望を抑えて、質素に暮らせと言いたいのではない。たまにはムダ金を使うのも楽しいし、それはそれで明日の活力にもなるだろう。ただし何事にも限度がある。しょうもない見栄にとらわれるな。心が貧しくなるだけだ。

 大きな買い物をするまえに自問してほしい。その買い物は、自分を本当に幸せにするのか。それとも重い負担を背負うはめになるのか。後者なら、迷わず却下だ。でないと、不幸の沼にずぶずぶとハマっていく。