小牧・長久手の戦いののち、織田信雄は秀吉と和睦しましたが、成政はこれに納得できませんでした。そこで成政は、信雄が和睦してもなお秀吉と戦い続けるよう家康に訴えるため、雪深い北アルプスを越えて浜松へと向かったのです。これが有名な、佐々成政の「さらさら越え」です。
ただし、この逸話を詳しく伝えるのは軍記物などであり、実際のルートや旅の詳細については、諸説あって詳しくはわかっていません。
信長に仕えた鉄砲の名手
佐々成政は、もともと尾張の名門・斯波氏の家臣筋の出身とされ、早くから織田信長に仕えました。
成政の存在が注目されるのは、信長が鉄砲を積極的に導入した時期です。成政は鉄砲隊の編成に携わり、自ら近江国友の鉄砲鍛冶とも交渉するなどして、鉄砲の調達を進めたと伝えられています。
佐々成政(演:白洲迅)は第6話で初登場 (C)NHK
さらに永禄10年(1567)には、信長直属の精鋭部隊「黒母衣衆」の筆頭に選ばれました。ちなみに、赤母衣衆の筆頭は前田利家です。
その後、柴田勝家の与力となった成政は、前田利家、不破光治とともに「府中三人衆」の一人として、北陸方面で活躍します。
ところが天正10年(1582)、本能寺の変が起こります。
このとき成政は、柴田勝家とともに越中方面で上杉景勝と戦っていました。そのため、明智光秀を討つための戦いに参加できなかったのです。






