指定された店へ向かう途中、私はいつも憂鬱だった。本当は家に帰りたい。読みかけの本もあるし、洗濯物も溜まっている。何より疲れている日は早く寝たい。
だが、われわれの立場で断るという選択肢はない。会社で生き残るためには、課長との関係を悪化させるわけにはいかなかったのである。
店へ入ると、藤堂課長は急に機嫌が良くなる。
「今日はええ店やぞ」そう言いながら満面の笑みを浮かべる。若い女性たちが横につく。
「こんなべっぴんさんが横におったら、株価が下がっても機嫌よう飲めるわ」
課長は上機嫌で酒を飲み、冗談を飛ばし続ける。本当に楽しそうだ。
87歳の顧客は月600万円の
売買手数料を喜んで払った
私は新設される名古屋支店法人営業課の栄えある初期メンバーに選ばれた。辞令にはもう一つ見覚えのある名前が記されていた。「法人営業課課長・藤堂健一郎」。幸か、不幸か、私は引き続き藤堂課長のもとで仕事をすることになった。新人課は終わっても、私と藤堂課長の師弟関係はまだ終わっていなかった。
課の名称が変わっても、藤堂課長の熱量とリーダーシップは少しも変わらなかった。ただ、営業成績は当初、苦戦した。法人口座は法人営業課が担当する旨の通達は出されていたが、既存の法人口座はすでに各課が抱え込んでいた。稼げる「おいしい口座」をわざわざ新設課へ差し出す者はいない。結局、自分たちでイチから新規法人を開拓するしかなかった。
「いよいよ最終手段を使うことにする。日野山、ついて来い」
藤堂課長は目を肉食獣のように光らせて、そう言った。
訪問先は地元で有名な化学メーカーの創業者・青木氏のお宅だった。青木氏は御年87。昔から株取引が大好きだったのだが、高齢になり、判断力の低下を理由に家族から取引を止められていた。
ところが、家族には別の事情があった。年齢のためか怒りっぽくなった青木氏だったが、株をしているときだけ機嫌がよいのだという。そのため家族は“家庭の平和”のため、一定の管理下で取引を再開させたいという意向だった。







