「おめでとうございます」と頭を下げながら、複雑な気持ちになった。人事異動は祝福であると同時に別れでもある。理不尽だと思うこともあったが、営業現場を誰よりも知り、先頭に立って走る課長だったのは間違いない。営業のイロハを叩き込んでもらった恩もある。

 じつは新人時代に始まった藤堂課長との交換日記を、私だけがこのときもまだ続けていた。ほかの同期たちは早々に書かなくなっていたという。なかには1週間でやめた者もいたらしい。しかし、そんなこととは露知らず、私は律儀に日記を書き続けていた。私は時に、仕事内容にとどまらず、プライベートの出来事まで交換日記につづっていた。

〔今日、彼女と名古屋港水族館へ行きました。仕事の話はしないようにしていましたが、気がつくと営業の愚痴ばかり話してしまいました。帰り際、『最近、仕事の話をしているときが一番つらそうだね』と言われ、何も言い返せませんでした〕

 翌日、藤堂課長からはこう返ってきた。

〔彼女に気をつかいすぎや。なんでも「わかった」「ごめん」で済ませとったら、女はますます強うなる。あかんものはあかんとガツンと言ったれ。嫌われるのを怖がって顔色ばかり見とったら、仕事でも家庭でも主導権は取れん。証券マンの妻の自覚を持たせ〕

『証券マンひりひり日記』書影『証券マンひりひり日記』(日野山 大、三五館シンシャ)

 赤ペンの文字を読みながら苦笑する。恋人とのすれ違いを相談する私も私だが、何事も営業に置き換え、最後は精神論で締めくくる、いかにも藤堂課長らしい返事だった。

 その内容はともかく藤堂課長も律儀に返信を続けてくれた。結局、同じ課のメンバーが撤退する中、私ひとりが新人課・法人営業課を通じ3年間にわたって課長とマンツーマンの交換日記を続けることになっていたのだ。

 藤堂課長への思いは「感謝」という言葉では言い尽くせない。反発したこともあれば、恩義を感じたこともある。藤堂課長の栄転に一役買えたという自負もあった。そして、何よりその背中が見られなくなることに大きな寂しさを覚えていた。