もともと5億円ほどあった青木氏の預かり資産は、相場下落や売買の繰り返しによって約1億円まで目減りしていた。青木氏と家族が同席した面談で、藤堂課長は「資産運用のご提案」を行ない、同意を得た。これで藤堂課長は事実上のフリーハンドを得たのだ。

 時代はITバブルの真っ最中だった。ソフトバンクや光通信、ホリエモン率いるオン・ザ・エッヂ(その後ライブドア)などインターネット関連企業の株価が連日急騰し、テレビも新聞も株の話題に占拠されていた。私たちはその熱狂を利用した。青木氏の資産を3000万円ずつ3つの銘柄に分け、毎日のように売買を繰り返す。表向きは資産運用である。しかし、実態は売買回数を増やすことだった。1回あたりの手数料は約30万円。営業日が20日あれば、月600万円もの手数料が発生する。これが藤堂課長の言う“最終手段”だった。

 最初のころは胸の奥に引っかかるものがあった。本当にこんな無茶な売買を続けていいのかという迷いと罪悪感だ。

 ところが、ITバブルの追い風を受け、株価は上昇を続けた。膨大な手数料を取りながら、青木氏の資産は着実に増えていく。そのたび罪悪感は薄れた。

 青木氏も資産の増加にご満悦だった。電話口の声は日に日に明るくなり、「また増えたな」「キミにまかせてよかったよ」と笑う。その反応を見るうちにいつしか疑問を抱くことさえなくなった。青木氏の預かり残高は再び3億円規模まで回復していた。

 ITバブルの勢いに乗じて、法人営業課の営業成績も勢いよく伸びていった。ここでも藤堂課長は会社の期待に応えたのだ。

営業成績を認められた課長は
少年の笑顔で栄転を喜んだ

 藤堂課長に辞令が出た。東京の広尾に新設される店舗の責任者への異動だった。

「日野山、聞いたか。俺は新設店舗の責任者や。これは栄転やぞ。会社が俺にイチから広尾の店をまかせるいうことや。営業は数字を出せばちゃんと評価される。俺が新設店舗に行くのもその証明みたいなもんや!」

 藤堂課長は少年のように目を輝かせていた。これほど嬉しそうな表情を見るのは初めてだった。