この父親は、単に家庭での役割分担に不満を感じているだけでなく、「自分の貢献は評価されず、自分だけが一方的に負担を押しつけられている」という文脈で受け止めている。
この父親も、先ほどの母親も、正反対の立場ながら、ともに被害者意識を強くもっているようである。
「平等な分担」の形は
家庭によって違う
こうしたやりとりを踏まえて、夫婦共働きで、早朝と昼間に仕事時間を分割し、なおかつオンライン勤務を中心にしてもらい、幼稚園の送り迎えをしながら、夜は子どもの世話をしているという母親は、つぎのように言う。
「私のところは夫婦共働きなので、稼ぐ役割は夫婦ともに分担していますけど、仕事の性質や稼ぎも違うので、時間的な融通が利く私が幼稚園の送り迎えを担当しています。それを平等に分担なんて言ったら、夫の仕事が成り立たないし、私たちの生活の糧を稼ぐことができなくなってしまいます。
メディアは何かにつけて平等に分担って言いますけど、それぞれの仕事の性質や個人の能力や適性のこともあるし、家庭ごとに適切な分担法を考えるべきだと思います。同じく専業主婦の方でも、子どものために仕事を続けるのを断念した場合と、もともと仕事にそんなに思い入れがなく専業主婦を望んでいた場合では、当然役割分担に対する思いも違ってくるでしょうし」
このように見てくると、被害者意識が刺激されるかどうかは、どのような枠組みでものごとをとらえるかによることがわかるだろう。
構図が違えば、同じものごとでも見え方が違ってくる。前述の事例のように、夫婦それぞれが被害者意識をもつのは、自分たちの役割分担を検討する際の構図が異なるからと言える。
どこを切り取るかで
「被害者」は入れ替わる
家族や職場の仲間など、しょっちゅう一緒にいてさまざまなやりとりをしている間柄では、相手の言動にイラっとすることもあれば、励まされることもあったり、相談に乗ってあげたり、アドバイスをもらったりというように、ポジティブなこともネガティブなことも多々経験しているはずである。







