コミュニケーションの連鎖が限りなく続いているため、何かで揉めたりしたときなど、どこを切り取るかによって、「そっちがあんな態度を取ったから」「その前にそっちがあんな言い方をしたから」というように、双方が被害者意識をもつことになる。

 たとえば、夫がしょっちゅう残業だとか仕事上のつきあいだとか言って夜遅く帰ることが多いのに対して、妻が、

「いつも残業だとかつきあいだとか言って飲んで帰ってきて、あなたは家族なんてどうでもいいんでしょ」

 と夫を責めると、夫は、

「早く帰ってきて家族と一緒に食べようとしたとき、『なんであなたがここにいるの』って雰囲気でよそよそしくて、邪魔者扱いするから帰りにくくなったんじゃないか」

 といった感じで妻のせいだと言い返す。

 夫婦間のコミュニケーションの長い歴史の上に今があるのだから、どっちの態度が悪いのが先かなどはなかなかわからず、揉めるたびに双方が被害者意識をもつことになる。

 あるいは、家計費の使い道をいちいち細かく確認する夫の態度に不満をもつ妻が、

「ムダ使いが多いとか言って、家計費の使い道をいちいちうるさく確認してくるのは、全然信用されてないみたいで、ほんとうに嫌だ」

 と文句を言うのに対して、夫が、

『被害者意識が強すぎる人たち』書影『被害者意識が強すぎる人たち』(榎本博明、祥伝社)

「こっちだって仕事で忙しいのに、いちいち家計費の使い道をチェックするのはほんとに負担が大きいんだ。でも、君がしっかり計画的に使わずに赤字の月があったりして、放っておいたら貯金を切り崩してたから、マイホームの夢のために仕方なくチェックしてるんじゃないか。こんなんじゃマイホームは無理だな」

 と吐き捨てるように言う。どちらも嘘を言ってるわけではないのに、双方が被害者意識をもっているのも事実である。

 こんな具合に、立場が違えばものごとの見え方が違ってくる。ものごとを見る構図が違うため、何かで揉めると、双方が被害者意識をもち、相手が加害者だと本気で思い込む。

 国家間の争いも、そうした構図の違いによって双方が被害者意識をもつため、お互いに相手が悪いと言って譲らず、エスカレートしていくのである。