経済性を無視しなければリスクを最小化できない
はじめから手に余るシステム

 事前の防御策は、圧力容器や格納容器など5重の安全壁といわれていますが、福島第1原発の4つの原子炉はあっというまに全部崩壊してしまいました。運転中の3つの原子炉はいずれもメルトダウンしています。

事故後の東京電力の対応。水での冷却に頼るしかない状態のなか、汚染水の処理は大きな問題であり続けます。
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 現在も核分裂を抑制し、冷やすために水をかけているだけです。水は汚染水となり、その管理がままならぬことは、すでに大きなニュースにもなっていません。安倍首相は「全体として管理されている」と国会で答弁しています。しかし、それは雨や海水によって希釈されただけです。いずれ明らかな海洋汚染が進むことになります。

 事前の「五重の安全壁」であれ、事後の三原則であれ、結局は冷却システムの維持・回復しか手段を持ち合わせていないのが、一見高度にみえる原発の安全システムなのである。今回の事故で明らかなように、ウランの濃縮や核分裂等に関しては高度な原子物理学の領域ではあるものの、その応用工学としての発電の仕組みは、産業革命時のワットの蒸気機関車の原理と変わらない。(19ページ)

 まず、ここはおさえておきましょう。発電の原理は原子物理学ではなく、19世紀に由来する工学そのものなのです。そして安全システムは産業革命以前のものでした。つまり、最初から手に余るシステムを作ってしまったのです。

 事前システムも脆弱な上に、事後的収拾システムを持たない安全管理システムは、システムと呼べる水準に至っていなかったといえよう。それを、今回の福島原子炉事故が自ら明らかにした。事前のリスクを限りなく最小化するために、経済性を無視して万全の対応を図ろうとすれば、その費用負担から原子力発電そのものが、社会経済システムとしての意義を喪失していってしまう。(21ページ)

 以上が第1章、システム全体の費用・便益ですが、最初から無理があったことが明らかになります。続いて発電コストですが、火力に比べて原子力は安い、したがって原発ゼロは不可能という常識に挑戦します。