ハーバード、マッキンゼー、INSEAD(欧州経営大学院)、BIS(国際決済銀行)、OECD(経済協力開発機構)と、日本・アメリカ・ヨーロッパとわたり歩いてきた京都大学教授の河合江理子氏。そして、経団連の副会長も務め、日本の財界のみならす、国際会議などでも積極的な提言を行なう、第一生命保険株式会社代表取締役会長の斎藤勝利氏。
教育の現場、企業の現場それぞれの視点から、世界に通用する具体的な人材像が語られた。河合氏と斎藤氏による対談は最終回。
悪戦苦闘する自分の姿を見て刺激を受けてほしい
河合 どんな人材に入社してもらいたいですか?
斎藤 私たちの意識としては、第一生命という会社を舞台にして成長してほしい、と思っています。そういう意欲があれば何でもこなせると思いますし、意欲をいかに持ち、この舞台を大事なキャリアパスにしてもらえるかではないでしょうか。
河合 私はいま、京都大学の学生に国際的なキャリア構築についての授業をしています。当初は、「あなたの人生の舞台は世界」と呼びかけるつもりでしたが、すでにそう考えている学生が多いので嬉しく思っています。ところで、斎藤会長は、学生時代に英語を集中的に勉強されたのですか?
[第一生命保険株式会社代表取締役会長、社団法人日本経済団体連合会副会長]
1943年、東京都生まれ。1967年、一橋大学商学部卒業後、第一生命保険相互会社入社。国際企画部長、調査部長を経て、1994年に取締役調査部長就任。その後、取締役企画・広報本部長兼調査部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役専務を務めたのち、2004年に代表取締役社長となる。2010年、東京証券取引所に上場したのを機に社長を退任すると、同年、第一生命保険株式会社代表取締役副会長、翌年には代表取締役会長に就任し、現在に至る。
斎藤 いや全然。当時、海外とは無縁の生命保険会社に就職するくらいですから(笑)。ただ、入社して5、6年経過したときに、円高対策として、政府から生命保険会社による外国株投資を要請されて、生命保険会社にも外国との関わりが生じてきました。そうしたことから英語の勉強を始めようと思い、英検1級取得にチャレンジし、スピーキング試験で1回落ちましたが、2回目にはクリアすることができました。
ただし、それは資格を取得したというだけの話で、その後、継続的に英語を勉強していたわけではありませんでした。そのうち保険営業の現場に転勤すると、英語とはますます無縁の会社生活となっていきましたが、数年後に、外国債券投資の関係でロンドンに人を派遣するということになったんですよ。
たまたま、過去に有価証券関係のキャリアがあったためか、当時、姫路支社に勤務していた私が、ロンドン事務所開設のための第1号としてイギリスに派遣されました。しかし、実際に派遣されると痛感しましたね。もう、ノイローゼになるくらい言葉がわからない。
河合 ノイローゼにもなりますよね、相手が言っていることがわからないと。いつも、いつも「Pardon?」なんて言うわけにはいきませんし(笑)。私も、日本の高校を卒業してすぐにハーバード大学に留学したので、最初はまったく授業がわからなかったです。単位が取れなかったらどうしようと本気で心配しました。
斎藤 たとえば、現地企業の経営陣の方と当社の社長や副社長との間でミーティングがあれば、私が通訳をするわけです。通訳というのは、高度に知的な作業なわけですよね。日本側を通訳するときは、『日本経済新聞』を読み込まないといけないし、お客さま側の通訳をやるときは『Financial Times』を読んでおかなければならない。
その時代、本当に苦労しましたが、このような経験を通じて、勉強になったというか、育てられた部分はありますね。もちろん、今でも苦労していますよ。英語レベルに照らすと、私は4.1くらいかな、と思います。(語学のレベル5段階については、前々回を参照)
英語は、やればやるほど奥が深くて難しいですよね。でもね、若い人が、私のような者が今でも英語で悪戦苦闘しているのを見てくれて、ロールモデルまではならないと思いますけれど、何らかの刺激になればとは思います。
河合 なりますよ。当時海外とは無縁の第一生命に入社された斎藤会長が、OECD関係機関でも活躍できるということは、「帰国子女でもなく、留学の経験もない自分にもできるんだ」という自信になると思います。