その性向が数理解析に向かい、数学が得意な高校生、そして大学生になっていた。そこで、その経験を生かして、野村総合研究所の研究員となった。最初の仕事は統計分析を行ったり、シミュレーションモデルを作ったり、など嬉々として取り組むのだが、いるところにはいるものだ。所詮、一番得意ではないことで勝負しようとしても、その道を極めようと迷いのない人には叶わない。野村総研には実際、数理解析の権化のような人がたくさんいた。しまいには、私のインストラクター役であった人から「野田君って、意外と数学が苦手なんだね」などと、大変ショックなことまでいわれてしまった。

 つまり、自分に顕在的に能力があると確信していたことには、比較優位性があまりなかったのだ。

 ただ、野村総研の先輩たちは皆、分析のプロではあるが、オーラル・プレゼンテーションには長けていなかった。必然的に、そういう役回りは私に回ってきた。大きなシンポジウムなどの舞台上でのリハーサルの雰囲気は、やっぱり好きだった。照明に照らされたときの緊張感はたまらなかった。それでも、そうした場所でしゃべることに、あまり価値は見出していなかった。

 数理解析の次は自分がマネジメントに長けていると思い込み、管理職として大成しようとも思った。そうこうしているうちに、会社を辞めて、大学の教員になるとともに、本格的に地上波でデビューすることになった。最初に言われたのが「野田さんはどうしてそんなに正確に尺(時間)が読めるのですか?」だった。尺を読んでいるつもりはないが、中学時代からの習い性になっていたようだ。

 野村総研にいた当時は、研修は好きではなかった。経営コンサルタントは研修事業を下に見る傾向があるからだ。しかし、やってみると奥が深くておもしろい。「今までで一番おもしろかった」などと言ってもらえると、やっぱり、自分の才能はこれなのかと思う。そうして45歳のときに、自分の原点Canが「話す」であることに気づくのだから、私もずいぶんと遅かった。

 その後は努力して自分の声も作り直し、自分の理想イメージに近づけた。大人になって培ってきたCan、すなわち分析力、論理的思考力、人脈、組織論の知識。そうしたものと“しゃべる”という能力を掛け算し始めた。研修も教壇も、テレビのコメンテーターやキャスターも、趣味と実益が表裏一体となったわけで、これに気がついて本当によかったと思っている。

 最も重要なことはそこだ。原点Canを見つけたら、それと大人になって身についた大人Canを掛け算してみる。原点Canというノンネグレクテッド・タレントを活かす道を考える。その時に必要なのは掛け算された能力を仕事につなげる翻訳能力だ。そのままではどうしていいかわからない原点のCanをどう今に生かすことができるのか。