もし、年功序列が通用しない外国企業に買収されたら……
もしかしたら、これは当然のことなのかもしれません。ただ、年功序列や年長者が絶対的とされる常識の中で育ってきた私たちからすると、なかなか想像しにくいことでもあるでしょう。新入社員を「さん」付けで呼び、自分の部下に教えを請うことは、おそらく抵抗感のあることであり、多くのみなさんの「常識」の範疇の外にあるかと思います。
しかし、自分が働いている会社が突然、「何年その会社で働いたのか」や「いくつ歳を取ったのか」をほとんど評価しない文化の影響を色濃く受けてきた、異国の企業の一部となることは十分に考えられます。
実際、昨今の外国籍企業による日本企業の買収により、突然、自分の上司や会社の経営陣が、一回り以上年下の「若手」になったという話は、実話として数多く伝え聞いています。
そもそも、日本が戦後に培ってきた、伝統的な人事制度を今も保っている企業であっても、入社から20年も経ってくると、先輩・後輩の下克上が起こります。マンガの『島耕作シリーズ』(講談社)を読んだことのある方は、そのエピソードと似たような経験を見聞きしたことがあるかもしれません。
また、かつてのように、社会が安定的に成長していく時代であり、年長者を敬うすばらしい文化だけに浸って生きていくことができた時代であれば、この記事のタイトルはトンデモナイ発想だと思われるのかもしれません。
しかし、私が『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)で述べているような、世界的な価値連鎖の時代においては、既存の文化とは異なる考え方を背景として事業運営を行う組織、上司・部下と適切なコミュニケーションを図る必要があります。
それは実際のところ、本質に立ち返るということです。
単純化すれば、「先輩」や「年長者」は、「後輩」や「年少者」と比較して、より高い能力や経験を持っているという期待値に基づいて尊敬を集めてきました。そうであるならば、より高い能力を持つ後輩や、密度の濃い時間を過ごしてきた年少者には、適切な態度で接することが正しい態度だと言えます。
それは「先輩」や「年長者」を敬わないという話ではありません。これまでと同様に、長年の経験と蓄積を敬う必要があります。
まさに、「本質」を見極めなければなりません。良いものを適切に評価し、それに対して適切な態度で接する、というだけのことです。
第3回でも述べたように、重要なのは、手段を目的化しないことです。目的を再確認し、それを実現するための手段を再定義するということなのです。