“異端児”を見出した発見者たち

「ラウンド・ミッドナイト」の原型は、全く無名のモンクが20歳の頃(1937年)には出来ていたという説があります。禁酒法が1933年に廃止され歓楽街には隠微な歓喜が溢れていました。モンクといえば、大都会のナイトクラブに登場する女性歌手のピアノ伴奏者として日銭を稼ぐ日々でした。真夜中の出来事を音で綴った訳です。

 セロニアス・モンクは1917年10月にノースカロライナ州の片田舎で誕生し、4歳の頃にニューヨークに引っ越します。実質的には生粋のニューヨーカーで、街に溢れる音楽を聴いて育ち、姉が弾くピアノを見て、楽譜まで読めるようになりました。実は、モンクは高校では数学と理科の成績が抜群だったといいます。頭の構造が凡人とは決定的に違っていたのでしょう。モンクにとってはピアノで生計を立てるのは自然な道でした。まずは教会の福音伝道師とともに全米各地を廻りました。ブルースから聖歌まで何でも弾いたといいます。

 やがて、ニューヨークに戻り、他流試合を繰り返し、ピアニストとしての地位を築いてゆきます。そして、チャンスは24歳の頃に来ます。ミントンズプレイハウスへの出演です。ジャズ愛好家にとって、ミントンズはジャズの革命、ビバップの聖地です。腕に憶えのある猛者たちが夜な夜なジャムセッションを続けながら、新しい音楽が形を現したのです。その様子を記録した貴重な音盤が「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」(写真)です。24歳のモンクが息づいています。が、未だ全く目立たない伴奏者です。

 モンクは無口で何を考えているか分からない。が、ピアノは上手い。但し、非常に奇妙なハーモニーを使いたがり、不協和音ギリギリの響きを希求していました。当時のジャズの語法(ビバップ)にしては異端児でした。故に、モンクには伴奏者として声がかかることはあっても、リーダーとして楽団を率いるチャンスは全くありませんでした。

 そんな中、遂に一人の白人女性がセロニアス・モンクの才能を発見します。彼女の名はロレイン・ライオン。1947年のことです。

 ロレインはモンクの演奏を聴いて感銘を受けます。同時に「何故、こんなにも個性的なピアニストであり優れた作曲家であるモンクが30歳にもなって未だ自身のレコードを発表できていないのか?世の中に知らせるべきだ」と思うのです。でも、どうやって?

 実は、ロレインは単なるジャズ好きの女性ではありませんでした。彼女の夫がアルフレッド・ライオンだったことで、セロニアス・モンクの運命の扉が開くのです。