過度のストレスで入院
きれいごとではない介護の実態

 これをきっかけに、母親は嫌がっていた再入院を決心するのですが、入院後19日目、あまりにもあっけなく、78歳で黄泉の国に旅立ってしまったのです。残された息子には、糖尿病と脳梗塞の後遺症を抱える85歳の父親の介護が待っていました。父と息子は、些細なことでけんかを繰り返します。そして息子はついかっとなって語気を荒げ、暴言を吐いてしまいます。

「これ以上、俺の足をひっぱるのはやめてくれ。ただでさえ、大変なんだから」
「ジャマなんだな?」

「なあ、おやじ……もうこれ以上は無理だよ」
 さすがの父も言葉に詰まった。
「そうか、無理か……ああ、もう死んでしまいたいよ」
「じゃあ、死んでしまえばいいだろ」
 売り言葉に買い言葉だった。
 父は泣いていた。
 後悔したが、もう遅かった。(182~183ページ)

 介護疲れからか、岡山氏はついに倒れ、1ヵ月入院してしまいます。診断名は突発性難聴。過度のストレスが原因と思われました。息子の緊急入院で父親の介護が懸念されましたが、ヘルパーや近隣住民、岡山氏の知人・友人たちがなにかと身の回りの世話をしてくれたおかげで難局を乗り切ることができました。

「お前の耳はわしのせいだと思うんだよ。すまんな」。退院してきた息子に、父はそう言って謝ります。そして長男一家が暮らす取手に帰っていくのです。ところが2日後、父親はタクシーに乗って東京へ舞い戻ってきました。

 僕はあまりの展開に思わず笑ってしまった。
「どうしてなのさ?」
 と聞くと、
「それが……家は立派なんだけど、だれもいないんだよ。孫もアルバイトとかで、ぜんぜん家にいないんだ。ひとりぼっちで、一日中過ごすんだぞ」
 予想はしていた。
「家はぼろでも、やっぱこっちのほうがいいな……」

 僕の中でも割り切りができていた。これからは、父の世話はこうして笑えるような、明るく楽しい介護にしようじゃないかと。
 人形のように着せ替えを楽しみ、楽しい介護を目指したのだ。そうでもないとやってられないという、いい意味での割り切りができたのは、父のユーモアのおかげだったのかもしれない。(199~200ページ)