「打ちのめされるような苦労」と
折り合いをつけ、介護を楽しんだ著者

 こうして、単調な毎日ではあるけれど、ユーモアと笑いの絶えない介護の日々が過ぎて行きました。あるとき、シャケの切り身にそっくりな蝋細工のようなキーホルダーを見つけた息子は、コンビニでシャケ弁当を求め、本物の切り身の代わりにこのキーホルダーを入れて父に差し出しました。シャケを食べようとした父はいちはやく感づき、息子の顔を見てニヤッと笑ったのです。もっとも、ケンカをしなくなったわけではありません。ときに激しく言い争い、そして仲直りを繰り返しながら、介護の辛さをユーモアでかわしていく作戦が成功を収めていったのです。

 母の死からほぼ1年後。父は86年の生涯を全うしました。かくして、母の発病から父の死まで、締めて4年間にわたる岡山氏のひとり介護生活にピリオドが打たれました。氏は「あとがき」で次のように締めくくっています。

 これから親の介護をする可能性がある人には、本書が「案ずるより産むが易し、なんとかなるものだ」という応援歌になれば嬉しいし、また、血のつながっていない親の介護をしている人が、夫や周囲からの心からの理解をえられない場合に、本書が少しでも役に立ってもらえればなお嬉しい。介護というものが本質的には「ひとり介護」であり、変な言い方だが気づいてみると「ひとり介護」ではないのは本書を読んでもらえれば分かる。そして、時代は「ひとりで自分の介護」をする時代を迎えようとしている。それさえも、「なんとかなるものだ」と考えるのはあまりに楽観的だろうか。いや、楽観こそが人生の楽しみであるとすれば、その瞬間、瞬間を楽しみ、僕のように介護さえ楽しんでしまえば、人も少しは楽になるかもしれない。(241~242ページ)

 この本を手に取った読者は、著者の意見や考え方に必ずしも共感を覚えないかもしれません。「宮仕えの身では、翻訳家の著者のように、時間は自由にならない」「前向きに楽しもうと思っても、打ちのめされることばかりが続いてしまう」。そんな“反論”が聞こえてきそうです。

 確かに著者の岡山氏は、一般の会社員よりは時間の融通が利くのかもしれませんが、しかし一方で収入は不安定になりがちです。実際、母親の入院と手術に備え、父親の年金を担保にして銀行から200万円借り入れたりもしました。「打ちのめされるような苦労」は人並みに、いや人並み以上に経験していることは、本書を一読すればわかります。フリーランスであるが故に、確定申告のための煩雑な事務処理にも多くの時間を割かなければなりません。介護に時間を取られて翻訳仕事を後回しにすれば、収入はたちまちダウンしてしまうのです。

 にもかかわらず、いろいろな思いに押しつぶされそうになりながらも、著者は介護を楽しみ、ときに心ゆくまで泣き腫らすのです。そうやって、おそらくは精神のバランスを保っていたのでしょう。まだ本格的な介護経験を持たない筆者は、著者に感情移入をしながら介護を疑似体験し、ほんの少しだけかもしれませんが、著者の心や気持ちの変化に寄り添うことができたように感じています。


◇今回の書籍 57/100冊目
『ひとり介護 母を看取り父を介護した僕の1475日』

「じゃあ、死んでしまえばいいだろ」<br />きれいごと抜きの「ひとり介護」の実態

一人暮らしの著者と両親が同居して3年目、母親が胆管癌とわかり延命のための手術をし、残された日々をいとおしみながら2年を過ごし見送った後、足が不自由な父親の介護を2年、くも膜下出血で突然死するまでの労苦を、骨太でときにユーモラスな文章で綴った介護記録。読むものに感動と共感を与えるノンフィクション。

岡山徹:著

本体1,500円+税

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