史上最強の呼び声も高い天才ボクサー、マイク・タイソン。彼自らが激動の人生を綴った『真相──マイク・タイソン自伝』のハイライトシーンを紹介する連載の第7回。
耳噛み事件のあと、数々のトラブルを巻き起こしていくタイソン。かつての栄光を失った男は、ついに神聖な試合の前にも麻薬を摂取するところまで落ちぶれてしまう。

耳を噛み切ったホリフィールド戦後、ボクシング・ライセンスを停止されたタイソン。生活は荒んだものとなり、資産も底をつき始める。そして、ドン・キングをはじめ、かつての仲間と金銭を巡る泥沼の訴訟合戦が始まる。さらには、交通事故による重症、慢性的鬱病の診断、暴行容疑による再度の収監など転落はとどまるところを知らなかった。出所したタイソンは国外に活路を求めヨーロッパに遠征。この頃からドラッグにはまり始める。スコットランドでの試合前、薬物検査を切り抜けるためにタイソンが編み出した方法とは……。

親友の死

人工ペニスと他人の尿で薬物検査をパス!<br />試合直前でも麻薬を常用マイク・タイソン(Mike Tyson)
1966年生まれ。アメリカ合衆国の元プロボクサー。1986年にWBCヘビー級王座を獲得、史上最年少のヘビー級チャンピオンとなる。その後WBA、IBFのタイトルを得てヘビー級3団体統一チャンピオンとして君臨。しかし2003年に暴行罪によって有罪判決を受けるなど数々のトラブルを巻き起こし、ボクシング界から引退。アルコール・麻薬・セックス中毒のどん底状態から過去の自分を反省し、自己の人生を語るワンマンショーで成功を収め、新たな幸せと尊敬を得る。2011年、国際ボクシング殿堂入りを果たす。2013年に『真相:マイク・タイソン自伝』を上梓。(Photo:courtesy of Mike and Kiki Tyson)

 イギリスではルー・サヴァリース戦のプロモーターたちが気をもんでいた。保護観察官からの報告がかんばしくないと、イギリスに戻って試合をする許可が下りない可能性があったからだ。2000年6月16日に出発の予定だったが、同月10日に親友のダリル・ボームが殺されたため、俺はまたニューヨークへ行った。みんなはあいつのことを“殺し屋(ホーミサイド)”と呼んでいたが、俺はまだ“おちびさん(ショーティ・ラヴ)”という昔のストリートのあだ名で呼んでいた。

 あいつはその呼びかたが大嫌いだった。ショーティ・ラヴは俺の近所の生まれで、ストリートじゃ評判が悪かった。無法者たちと近所をうろついているところを、しょっちゅう見かけた。年上の男たちが取り巻きで、小僧のあいつが首領だったらしい。

 “ホーミサイド”と呼ばれていたのは、12歳にしてKOアーティストだったからだ。ストリートで誰かと対決しては、パンチ一発でノックアウトし、装身具や羊革のコートを奪っていた。1986年、強盗罪で2年から6年の判決を受けて刑務所に入った。塀の中でも乱暴すぎて、倍の刑期を勤めるはめになった。1999年12月31日にようやく出所。出てきたとき、俺は少しカネを渡し、ロレックスの立派な時計と鎖とメルセデス・ベンツを買ってやった。うちの警備員として仕事の世話もした。ストリートの暮らしを離れて、まっとうな生活をしてほしかった。