並木 苦難の交渉の末、売却先として決まったのがミクシィだったわけですね。
朝倉 何とか株主に誰も損をさせることがない条件で売却に到りました。2011年9月にミクシィの傘下に入ってからは、ネイキッドテクノロジーの引き継ぎ業務をやりながら新しいビジネスのアイディアを探して日々を過ごしていました。その年の年末頃、そろそろマジメに働きなさいということで(笑)、ミクシィ本体の経営会議の事務局を担当することになります。ミクシィの経営に対して「ほっとけない」という気持ちが芽生えたのは、その頃からですね。
経営改革に必要な3要素「理・心・運」
ミクシィで最も影響が大きかったのは…?
並木 当時のミクシィはどんな状況だったんですか。
朝倉 エンジニアやサービスディレクターとしてサービスの開発や運営に優れた人材はたくさんいるけど、経営という観点から会社や事業を捉えている人がほとんどいなかった。そこは自分が役に立てる余地があるなと感じた部分です。経営会議の議論を見ていても、コンサルティング・ファーム時代に見てきたかつてのクライアントの議論のクオリティからするとレベルの違いを感じざるを得なかった。
業績的には、2011年はユーザー数がピークに達した時期でした。震災の影響もあってコミュニケーションに対するニーズは高まっていたし、若年層にSNSが一気に浸透した時期でもあったからです。でもそれも一時的なものであって、会社が置かれている状況が厳しくなってきているという認識は社内でも共有されていました。ただ、何がどう問題なのかがよく分かっていなかった感じですね。社内で論議される内容は、いかにサービスを改善していくかという視点にとどまっており、会社や事業をどう発展させていくのかといった観点は欠けていました。
並木 朝倉さんは、どこに問題があると見ていたんですか?
朝倉 ひとつ目は、代替サービスの台頭ですよね。TwitterやFacebook、LINEが普及し始めて、『mixi』がかつてのようにSNSとしてワン&オンリーの存在ではなくなった。さらに2つ目の問題として、ガラケーからスマホへのデバイスの移行に伴う課題が表面化してきていました。ミクシィはガラケーの純広告が主たる収益の源泉でしたが、ガラケー市場は縮小する一方で、スマホの広告市場は変遷期だったこともあってまだまだ小さかった。デバイス環境の変化に伴う広告市場の変化が業績に与えるインパクトは非常に深刻なものでした。
ただ、最大の課題は企業風土です。代替サービスの登場にも広告市場の変化にも対応しなければいけないけれども、根本はそこだと。過去の成功体験から脱して、新しいものを生み出していくマインドに変えていくことが最大の課題だと考えていました。
並木 経営企画室長、そして社長としてミクシィの改革に乗り出していくことになるわけですが、その過程でコンサル時代のスキルは役に立ったんでしょうか?
朝倉 役に立たった面は多分にありましたが、そうしたスキルが本質的に最も重要だったわけではありません。
ミクシィの経営改革において必要だったのは、「理」と「心」と「運」、この3つの要素にまとめられます。「理」は頭で考えるロジックや戦略で、「心」は改革を実行に移す精神的なタフさを指します。ポイントは、これらの要素が最終的な成果に及ぼした影響度合いの比率がどうなっているか。
僕はこれには確信があって、ミクシィの場合は、「理:心:運=1:4:5」だったんです。「運」が半分だと言っても、これはあくまで十分条件。必要条件は「理」と「心」の部分です。人事を尽くして天命を待つという言葉がありますが、まず「理」と「心」に対してやれるだけのことをやって、そのうえで上振れするかどうかは運次第だということです。
並木 そして「理」と「心」の割合は、「1:4」であると。
朝倉 「理」の部分に関しては、コンサルティング・ファームでやるような複雑な分析は、ミクシィではほとんどやっていません。そんなに難しく考えずとも、既存事業の採算性を改善する、新しい事業を始めてビジネスの幅を広げ、既存事業に依存しない体制を構築する、それだけのことですから。
じゃあ何が最も難しいのかと言えば、「心」の要素。ミクシィはSNSの会社だという自意識が強すぎるが故に、SNS以外のサービスをつくっていこうとしても、急には社内の理解が追いつきませんし、外からはポリシーがない、ビジョンがないと言われたりする。こうした声を僕はすべて無視して、当たり前のことを地道に断行しました。こういうタフさはコンサルティング・ファームではなく、ネイキッドテクノロジー時代にフロント側の仕事を通して身についたものだと思います。