昨年、株式会社ミクシィの代表取締役社長に就任し、「事業再生フェーズは完了した」として今年6月に退任した朝倉祐介氏(現顧問)。わずか1年間でミクシィの経営体質を大胆に改革した朝倉氏はかつて、マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務していた経歴をもつ。コンサルタントとしての経験はミクシィ再建の過程でどう活かされたのか。そして今、コンサルティング業界に対して思うこととは――。今後が注目される、32歳の若き経営者に聞いた。(構成:日比野恭三)
並木 朝倉さんは東大を卒業後、マッキンゼーに入社されました。その後、学生時代に仲間たちと創業したITベンチャー、ネイキッドテクノロジーに戻り、同社が買収されたのを機にミクシィへ、というルートをたどってこられたわけですが、東大に入るまでの経歴もユニークですよね。
朝倉 中学を卒業してから、競馬の騎手になるためにオーストラリアへ留学しました。でも身長が伸びすぎてしまったので断念し、それからは北海道で競走馬の調教助手として働いていたんですが、バイク事故で大ケガをしてしまって……。その後、大学受験資格を取得できる専門学校に通い、東大に入りました。
並木 その東大時代にネイキッドテクノロジーを立ち上げた。
朝倉 その前にもう1社関わっています。2年生の頃、「講師が全員東大生」を売りにした学習塾の立ち上げに参加しました。コンセプトを固めるところから、カリキュラムの作成やビラ配り、講師まで何でもやりましたね。4人でミーティングを1時間やったら4時間分の労働力をかけたことになるからコストはどれくらいだとか、そんな事を細かく考えていました。
ネイキッドテクノロジーを立ち上げたのは2006年、大学4年生の頃です。当初はSNSの可能性に注目して、ソーシャルグラフ(ウェブ上における人間の相関関係)を活用したマーケティングエンジンを開発したりしていました。ミクシィやグリーができたのが2004年ですから、当時はまだSNSの黎明期。今思えば、ちょっと時代を先取りしすぎていたのかもしれません。
並木 それからマッキンゼーに入社するわけですが、朝倉さんの目にコンサルティングの世界はどう映りましたか。
朝倉 コンサルタントとして仕事をしていて常々感じていたのは「コンサルティング・ファームの競争力の源泉はブランドだ」ということです。ブランドが確立していてファームの看板にありがたみがあるからこそ、大きなクライアントがつき、自然と優秀な人材がファームに集まってくる。ブランドが好循環を生むサイクルを創り、維持することがコンサルティング・ファームを経営する上で極めて重要なんだな、と思っていました。
並木 すでに経営の経験があるだけに、コンサルティングにリアリティのなさを感じるような場面はありませんでしたか。
朝倉 全てではありませんが、中にはやったことの成果がよく分からないプロジェクトもありました。例えばオペレーション改善を3ヵ月間やったとしても、プロジェクトが終わるとクライアントの状況を知る術がないんです。そうなると結果に対してコミットしている感じがしなくなってくるので、手触り感を持てない。
あと、仕事の中でつらかったのは、墨塗りの作業。どういうことかというと、他社の事例を引用した資料をつくる時に、社名などの固有名詞を黒く塗りつぶしたり、業績の数字を「x億円」に置き換えたりする作業です。膨大な資料の墨塗りを命じられた時は、これってクライアントの事業の成長に貢献するんだろうかって考えちゃいましたね。
並木 1年目のアナリストは、そういう仕事を振られますからね……。