親には一生見せられないけど、
AV女優だと誰かに自慢したい

開沼 その話を聞いていると、それと同じような構造がAV業界以外でも起きているなと連想する部分はありますよね。たとえば、何かの新商品を売り込んでいる営業担当者とか。

鈴木 いただいた感想やTwitterを見ていると、「これは就活面接に似ているよね」「ブロガーってこういうとこあるよね」「アイドルってまさにこれだよね」と、本を読んだ人が自分や周りの状況に似た構造を見出している反応が結構あるんですよ。自分を語ることで漠然としていた動機が形あるものになっていくことは、就活面接や会社の面談でも似た部分はあると私も思います。

 ある業界に入ることで、業界独特のヒエラルキーに似たものを自分で内面化して、そこを駆け上がろうと夢中になる構造は、どんな労働現場にもあるかもしれません。私もいまは会社に勤めているので、ある意味ではその会社独特の文化や序列を無意識に自分が内面化していき、知らぬ間に搾取され得る構造にいると思います。あの本から汎用性を読み取ってもらえればおもしろいです。ただ、私のなかではAV女優は特別な仕事だと思っている部分もあります。

自ら語ることで女の子は「AV女優」に変わる <br />彼女たちはなぜ、AVの世界を選んだのか<br />【社会学者・鈴木涼美×社会学者・開沼博】開沼 博(かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

開沼 AV女優という仕事の「特別さ」は、どこにあると思いますか。

鈴木 本の前半でも少し分析をしましたけど、たとえば、何に対して報酬を貰っているのかがわりと漠然としているところです。肉体的にも技術的にもとてもハードな労働にもかかわらず、労働そのものではなく身体にお金を払われている、性の値段だと思われているところですね。

 それから、「女優」と呼ばれるように演技することを求められますが、演技しないことも求められています。キャラクターをつくることと自然体でいることの両立が求められる仕事です。それはやはり性的な行為が業務のなかに組み込まれていることと関係していると思います。演技ではない生の声が聞きたいという願望が、アイドル以上に強く求められる。

 また、たとえば風俗嬢とは違い、目の前にいる男性を気持ち良くさせることが仕事ではないので、接客業ではない。ほかにも見せる仕事、一生残る仕事……ほかの仕事でここはないよねってところがいくつもあると思います。そもそも、女の子の特権的な仕事だということも含めて。

開沼 なるほど。見せる仕事、一生残る仕事という点については、他の仕事ではなかなか見られない珍しいものかもしれません。昔、ゼネコンのCMで、自分たちがやっていることを「地図に残る仕事」と表現しているものがありましたが、これは「残ること」が名誉・誇りになるわけです。そういう仕事は他にもたくさんあります。しかし、人に見せ、一生、いまは死後までも残るものが、そういうポジティブなものではなく、むしろネガティブなものとしてあるのは珍しいのかもしれません。そこにいたことが、スティグマ(負の烙印)として扱われる側面が強い。

鈴木 そうですよ。辞めてから10年経っても、動画サイトで300円も払えば、いまは全編見られるわけです。若いときにキャバクラで働いていたというよりは、背負わなければいけない、その後を約束されてしまう運命は大きいと思います。

 でも、それがスティグマになりつつも、AV女優が憧れの職業でもあり、なりたくて仕方がない子もいます。そこがアンビバレント(両価的)なところですね。プライドがあり、コンプレックスもある。いろいろな職業にも言えることですが、それがわかりやすく表出する職業です。親には一生見せられないけど、ある人には自慢したい、という感覚もそれでしょうね。

開沼 なるほど。そこはおもしろいですね。第三者から見ると、スティグマになるという部分はわかりやすい。ただ、現場に行けば「なりたいという気持ち」が一方には確実にある。その部分はなかなか見えにくいと思います。たしかに、考えてみれば仰るとおりで、単にカネがほしいだけならば、水商売、風俗、あるいはその他のさまざまなハイリスクなビジネスに関わるなど、いろいろな手段があります。

 もちろん、「カネが稼げる手近な手段だからAVに」という人もいるでしょうが、他の選択肢ではなく、そこに行った理由はもっと多様であるでしょうね。そこにある「なりたいという気持ち」にも、いろいろな種類がありますよね。自己顕示欲なのか、そのときにしか残せないものをやっておきたいのか、ほかにもあるでしょう。それを因数分解するとすれば、どのように分けられますか。

鈴木 とても単純ですけど、なりたい理由の一つには、かわいい子しかなれないという希少価値があると思います。良い女としての称号です。私が本に書いたのは単体女優や企画単体女優の話です。そうなると、相当かわいい、キャバクラではナンバーが入っているような容姿でないとなかなかなれません。一般的に見て、自分がかわいいという基準の一つになる。

開沼 たとえば、大学生なのかOLなのか、普通の女の子が雑誌の読者モデルになりたいというレベルに近いものですか。

鈴木 そのレベルに近いですよね。ギャラについても、結構ビックリするくらいの安い値段で出ている子もいます。それでも、自分の女としての価値に高いお金を払われているということがある。自分に女としての価値があるかどうかは、とくに10代や20代の子が気にすることです。それが具体的な金額として支払われるのは気持ちのいいことですよね。

 それから、たとえば風俗と比べても記名性のある仕事なので、「芸能人になりたい」「作家になりたい」という気持ちにも近い。知らない人が自分について知っていて語ったり、自分を見て興奮したりするという有名願望もあります。銀座のホステスさんが、「女としての成功者」という書かれ方をしますが、それに近いと思います。女としての武器に恵まれて、それを存分に発揮して勝ち抜いた成功者のような見え方もできますから。

 パッケージ写真は、すごくきれいに撮ってもらえます。店頭で並んでいるのを見ると、やっぱり普通の子よりかわいいと思う。それだけではなく、お金も持っていて、性的な魅力に対して評価してもらっていることが嬉しい。

 もちろん、AV出演の動機としては、一般的に考えられているように、お金がいいこともあります。実際は、たとえばほかのセックス・ワークや水商売に比べてものすごく給料がいいかというと、そういう時代ではありません。それでも、やはりお金がいいというイメージは当の女の子たちのなかにもあり、それも「AV女優になりたい」と思う大きな要素になると思います。二日の拘束で安くても30万、40万とかもらえるわけです。それに撮影現場は楽しいです。

開沼 撮影現場が楽しいという感想は、ノンフィクション作品などに書かれたAV女優の語りのなかではよく出てきますよね。どのように楽しいんですか。

鈴木 楽しいですよ、女の子としてちやほやしてもらえますから。現場ごとにスタッフが違い、いろいろなスタジオに行けるので退屈しません。毎日同じオフィスで、同じおじさんと一緒にいるよりも、いろいろなスタジオに行って、メイクをしてもらって、きれいな洋服を来て撮影しているほうが楽しいというのは、わかりやすいでしょう。もちろん、それが嫌だと言う子もいますけど。