ドミノの一枚を誰が倒すのか?
固定観念を持たない行為者の挑戦
ちきりん 先生は講演やご著書では、「国民皆保険は全廃すべき」「医療の株式会社を認めるべき」など、医療を“聖域”だと思っている人が怒りそうなことを、ことさら強調して主張されているように思います。というのも、先程からお話しいただいている海外からの人材導入についてのご意見などは、反対する人が少ない話だと思うんです。なのに、わざと皆が怒りそうなことを前面に出していらっしゃるように思うのですが、それは意図的なのでしょうか?
北原 私が言いたいのは、固定観念を持たないでほしいということ。それに、物事には変えなければいけないポイントがあると思うんですよ。そこさえ変えればすべてが動き始めるという。「ドミノの一枚」ではないですが、ここを変えれば皆が物事を考え始めるというポイントがあるのです。国民皆保険の存在を絶対と考えるか、そうでないと考えるか。固定観念をゼロにして、理想の社会とはなにかということを考える段階にきていると思います。
ちきりん なるほど。まさに「自分のアタマで考えよう」ということですね。私もこの前、ブログであえて「ネットより、テレビのほうがコンテンツのクオリティが圧倒的に高い」と書いたんです。でも別に「テレビを見よう」と言いたかったわけではありません「テレビや新聞は完全に終わってる」みたいな言い方が一種のトレンドになっていて、考えもせず、そう言っちゃってる人も多いんじゃないかと思って。考えるきっかけを与えるには、極論に聞こえることを言い切ってみるのも、方法論としてアリですよね。
北原 あと、日本人は「国民皆保険をやめる」と言ったら、「それに変わる完璧なものを提示しろ」と言うのが好きなんです。しかし、医療を変えるためには、39兆円という医療費が本当に必要なのかとか、自動診断システムにしたらどうなるのかとか、ボランティアを入れることによって貨幣経済と切り離したらどうかなど、多角的な視点から考えていかなければいけません。ですから、実際は一度やってみておかしかったら訂正する、間違いが起こったら補正するという柔軟性が必要なんです。こうでなければいけないという考え方は非常に危険だと思います。そうならないためには、「行為者」でい続けなければいけない。評論家にならずに、常に「やってみせる」という姿勢を保っていきたいです。
ちきりん たしかにそうですね。変わることが必要なのは火を見るより明らかなのに、完璧な代替案ができるまで何一つ変えたくないという人は、ほんとーに鬱陶しいです。
先生のすごいところは、その発想の大胆さに加え、ご自身が常に全速力で走る実践者であることだと思います。何かやろうとすると苦労や困難が多いと思うのですが、常に前向きであることの重要性もよくわかりました。
本日はとても勉強になりました。ありがとうございます。
北原 こちらこそ、ありがとうございました。とても楽しかったです。
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