支持率低迷に悩まされ続けた福田・麻生政権だったが、1つ指摘しておきたいのは、両政権の間に、後に民主党政権で、「社会保障と税の一体改革」として結実する改革をスタートさせていたことである。福田・麻生政権の間に、「少子高齢化で膨らむ社会保障費に見合う税収を確保するため」に、「消費税率を2010年代半ばまでに10%程度に引き上げる」ことを決定していたのである(第44回)。だが、福田・麻生政権の地道な取り組みは、選挙の波に飲み込まれてしまい、国民がその意義を理解することはなかった。

日本の政権と選挙(3):
鳩山政権の斬新な取り組みが国民の理解を得るには、
あまりに時間がなさすぎた

 2009年9月の総選挙で大勝して政権を奪取した、鳩山由紀夫民主党政権は、自民党政治を否定する数々の斬新な政策を打ち出した。「事務次官会議廃止」など官僚を政策過程から排除し、政務三役が省庁での法案作成、省庁間の調整、閣議への提出まですべてを主導する「政治主導」を打ち出した。「経済財政諮問会議」の廃止など、審議会の見直しも決定した(第38回)。予算編成権を財務省主計局から奪おうとする「国家戦略局」構想を打ち出し、(前連載第32回)、行政の無駄を国民に公開しながら削減しようという「事業仕分け」とう取り組みも行った(第37回)。そして、後に「バラマキ4K」と猛批判を浴びることになる、「子ども手当」「高校無償化」「戸別農家の所得補償」「高速道路無料化」という、自民党とまったく異なる哲学に基づく政策も打ち出した(前連載第43回)

 だが、政権は最初の予算編成で大苦戦した。目玉政策はことごとく財源問題に直面したのだ。また、鳩山首相、小沢幹事長の「政治とカネ」の問題、首相の「普天間基地移設問題」における「最低でも県外」の公約を巡る混乱、小沢幹事長による予算編成への介入という「政治主導」の混乱などによって、鳩山政権は急速に支持率を失ってしまった。結局、鳩山政権は2010年6月、わずか266日で退陣した。だが、いろいろ混乱はあったものの、7月に参院選が予定されていなければ、辞任に追い込まれることはなかっただろう。

 そして、なにより残念であったのは、鳩山政権が打ち出していた、「英国流議会制民主主義」の導入であった「国会改革」や、欧州社会民主主義的な「共助」の思想に基づいた政策が、国民のみならず、民主党内からさえ理解されない状態のまま、退陣せざるを得なかったことだろう。政権発足からわずか10ヵ月後に選挙があるのでは、あまりにも時間が少なすぎたといえる。