組織衰退の度合いは
言い繕いの多さで測ることができる

 これは、言い繕いと言い繕いの応酬である。欺瞞と欺瞞の儀式である。何の誠実さも感じない。相互の愛情のかけらもない。それがわかっているから、その場に居合わせた多くの方が違和感を覚え、中にはやるせなさを感じる人もいるのではないか。

「お決まりの儀式なのだから、儀礼的表現で何が問題なのだ」という反論もあるかもしれない。「職場に、誠実さや相互の愛情を求めるなどどうかしている」という声も聞こえてきそうだ。しかし、言い繕いが蔓延し、お決まりの儀式がより固定化され、日常の中で使われる表現として流布していることは、深刻な問題ではないだろうか。

「私には、○○の部分が合いませんでした。新しい会社でがんばります」「かねがね願っていた自身のキャリアアップのためのチャンスを得ましたので、転職することにしました。お世話になりました」という、本心に基づく挨拶がなぜできないのか。そして送り出す側も、「望ましい環境を提供できなかった。上司として無念だ」「当社内でキャリア形成を考えていただけなかったことは、残念だ」という、本音で送り出せないものか。

 なにも難しい挨拶をしろと言っているのではない。逆に、思ったことをそのまま言えば良い。むしろ簡単なことができなくなっている言い繕いが蔓延していることが、メンバーの関係を著しく弱体化し、組織を弱くするのだ。組織衰退の度合いは、言い繕いの多さで測れるといっても過言ではない。

 組織で発生しがちな言い繕いには、いくつかのパターンがある。健康保険証の家族氏名の表記にミスがあったという指摘を社員から受けた際の、人事部担当者の話法例をあてはめると、次のとおりとなる。いずれも実際に、私自身が見聞きした例で、読者のみなさんも、こうした対応を受けた経験が少なからずあるのではないだろうか。