つまり、僕たちがなにかの本を手にとるときには、必ずなんらかの「仮説」があります。仮説というと大げさかもしれませんが、「この本にはに△△ついて書いてあるのではないか。
だから自分には読む価値がありそうだ」という一種の「期待」といってもいいかもしれません。
なにかを探すとき、僕たちは世界を「流し読み」している
こうして「あたり」をつける行為を、僕たちは日常的に行っています。
たとえば、僕はアナログレコードをコレクションしており、よくレコードショップに行きます。ショップには膨大な数のレコードがありますが、10分くらい店内をブラブラし、なんとなく棚を眺めているだけで、「ほしい」と思っていたレコードにかなりの確率で出会うことができます。
「出会う」といったのは、事実まさにそんな感じだからであり、決して僕は1枚1枚のレコードのタイトルを「読んでいる」わけではありません。むしろ、探していたレコードが向こうから目に飛び込んでくるようなイメージです。
「僕には特別な能力が備わっている」なんてことをいいたいわけではありません。そうではなく、人間は「なにを探すか」が明確になっていると、雑然とした情報の中からであっても、特定の情報を拾い上げやすくなるということです。逆に、探しても見つからない場合は、「縁がなかったのだ」と思うことにしています。なにかを「探す」とは、そういうことだからです。