そのエレベーターを、女性が運転することになるきっかけは1929(昭和4)年、上野松坂屋が作った。同年4月8日の読売新聞は、「『昇降機ガール』が日本にも出来た」と、その華々しいデビューを報じている。それ以前、日本ではエレベーターは男性が運転するもの、だった。

 歴史をさらに遡れば、女性を戦力としていち早く活用したのも、百貨店だ。『大正期の職業婦人』(村上信彦著、ドメス出版)によると、三越がまだ三井呉服店と名乗っていた1901(明治34)年、試験的に3人の女性店員を採用したのがそのはじまりという。

 女性店員を使ってみると、思ったよりも成績が良かった。男性の場合、手塩にかけて小僧から育てても、20歳になれば徴兵で3年間軍隊にとられてしまう。女性ならば、軍隊にとられる心配はないし、人件費も男性よりは安く済む。

 ということで、当時、三越の重役だった日比翁助氏は、女性も結婚までの腰かけとは言わずに永く勤めて欲しいと言い、「女性店員が妊娠したら、必要なだけ休ませる」と宣言した。男性が徴兵で3年とられるならば、妊娠のために女性を半年間休ませても6回までは同じ。平等主義ではなく、きわめて合理主義的な判断だ。

“テーマパーク”だった百貨店がなくなっても
エレベーターガールの心は残ってほしい

 エレベーターガールはこのまま消えるのか。それとも、残るのか。

 それを探るために、日曜日の朝、都心の老舗百貨店を訪れた。午前9時40分。開店までまだ、20分もある。

 地下の入口ではすでに、開店待ちのお客さんが数人、椅子に座って並んでいた。人影のない正面玄関前で待っていると、スタッフがやおら折りたたみ机を広げ、その上にテーブルクロスを敷き始める。《何が始まるのだ》と思って見ていたら、盆に並べた小さな紙コップに冷たいお茶を注ぎ、開店待ちの客や道行く人に無料で配っている。

「あら、このお茶おいしいわ」

 開店を待つ女性のひとりが、うれしそうな声をあげた。いつの間にか、客は正面玄関だけで20人以上に増えている。