JR御徒町駅で降りた時のこと。木の板に「靴磨き 500円」と書いた看板を見つけた。
見ると、靴を磨いているのは高齢のおじさん。幸いにも筆者はその日、革靴を履いていた。
「あのぉ、次、いいでしょうか?」
先客が立つタイミングを見計らい、靴磨きのおじさんに申し出た。生まれて初めての路上靴磨き体験、である。
見慣れない客に驚いた様子で、おじさんは「磨くの?」と確認してくる。「はい」と答え、先ほどの客が座っていた折りたたみ椅子に腰かける。
「じゃあ、ここに足、のせて」
言われるがまま、小さな台に右足をのせる。
あぐらをかいて座るおじさんの左横には、5段の引き出しからなる道具箱が置いてある。手前には、使い古したブラシが何本も入った缶。クリームやワックスも、数え切れないほど種類がある。
おじさんはまず、ブラシでササッと靴の汚れをとると、乳白色の液体を塗った。その様子を眺めながら、「じつは、かくかくしかじかで靴磨きのことを取材していまして……」と事情を説明し、取材を開始する。
都内の路上靴磨き職人はわずか15名?
自然消滅的に絶滅する日も遠くない
「昔は都内に500人くらい、靴磨きがいたらしいんだよ。ここだけで、6人はいた。だけど、今はオレ1人。みんな、死んじゃった。だって、戦後すぐの頃からだもん」
おじさんの名前は、「モトジマさん」という。生まれは富山県で、御年80歳。終戦間もなくの1948年(昭和23年)に上京し、最初は靴を作る会社に勤めた。
「だけどさ、1年で辞めちゃった」
「なぜですか?」
「靴ってさ、注文靴を作れるようになったら一人前なのよ。職人にはなったんだけど、腕が悪くて、会社が既成靴しか作らせてくれなかったのよ」
一人前の靴職人になれないなら、靴磨きになろう。20歳のモトジマさんはそう心に決めて、靴磨きの道に入った。
路上で靴を磨く商売をするには、所轄の警察署から発行される「道路使用許可」と、都道府県が発行する「道路占用許可」が必要だ。新規で許可をとるのは難しく、現在営業している人たちが亡くなると、自然消滅的に路上での靴磨きは消える運命にある。