京都の名所、嵐山の中腹にある法輪寺は、虚空蔵菩薩を本尊とし、『十三まいり』のお寺としても知られている。『十三まいり』とは、数え年13歳のときに、智恵を授かるよう虚空蔵菩薩に祈願するものである。
法輪寺の起源は奈良時代にさかのぼる。『今昔物語』には、法輪寺にまつわる次のような興味深い話がある(*1)。
昔、比叡山のある若い僧が、遊びに気が散ってなかなか勉強に身が入らず、そのために無学の輩とさげすまれていた。それでもこの若い僧には学問をする志はあるものだから、たびたび法輪寺に詣でて、虚空蔵菩薩に知恵を授かるよう祈願した。
ある日のこと、法輪寺に詣でた後でつまらぬことに時間を取られているうちに、日が暮れて比叡山に帰れなくなった。付近に住む知り合いたちはあいにくみな留守だったもので、仕方なく泊まる場所を求めて探し歩いた。そのうちに、風雅な唐風の門のある家にたどり着いた。出てきた女中に事情を話し、主人に取り次ぎを乞うと、この屋の主人はうら若い女であったが、比叡山の僧であればと泊めてもらえることになった。
ところが、この女主人の姿かたちはとろけるほどに美しくて、若い僧はそれを垣間見ただけなのに夢中になってしまった。これも前世からの宿縁だろうか、ここで思いを遂げねばこの世に生まれた甲斐もないと思い、若い僧は女主人のもとに忍んでいった。頑として拒むかと思いきや、法華経を修めた偉い僧とであればこのようなことも厭ではないから、あなたが法華経を空で読めるのか知りたいと、女主人は意外なことを言う。若い僧は根が正直なものだから、法華経の勉強はしているが、まだ空で読めるまでにはなっていないと白状した。では、法華経を空で読めるようになったら、あなたのものになりましょうと女は言った。
力づくでも思いを遂げようとしていたのに、このように言われるとそうもいかない。不純な動機ではあったが、若い僧は比叡山に戻り一心不乱に勉強した。20日ほどで法華経を空で読めるようになり、勇んで女のもとに出かけた。しかし、女は許さずにこう言った。お経が上手に読めるだけの若い僧にかしずけば、たやすく情におぼれたつまらぬ女だと世間でさげすまれる。このうえは比叡山で3年修行し、誰からも尊敬される立派な学生になって戻ってきてほしい。そのときこそは、自らすすんで衣の紐を解きましょう。
女が心配するのも当然だと納得し、若い僧は再び比叡山に籠った。昼夜を問わず学問にはげみ精進したものだから、同年代では最も優れていると、周囲から一目置かれる学生になれた。3年間の修行が終わり、若い僧は比叡山から女のもとに馳せ参じた。女は喜び、若い僧の手を取り寝床に招き入れた。男は、ついにこの時がきたと女の脇に体を横たえ、女のやわらかな体を抱きしめたのだが、長旅の疲れが出たためか、不覚にも思いを遂げる前に眠ってしまった。
すると、夢枕に虚空蔵菩薩が出てきてこう言った。お前は学才がありながら努力をしない愚か者だが、何度となくきて熱心に祈願するから、このように取り計らったぞ。
若い僧が目を覚ますと、誰もいない嵯峨野の原っぱで、衣を脱ぎ裸でススキを抱きかかえていた。彼はこれを大いに恥じて再び比叡山に籠った。今度は純粋に学問に打ち込み、ついには比叡山で第一といわれる学生になった。
*1:福永武彦訳『今昔物語』(ちくま文庫、1991年)にある「恋の虜となって仏道に励む話」を参考に創作した。