ヨーダからの教えを実践するためだ。みんなからの拒絶の空気がぐっと強まる。ダイアナが眉間にしわを寄せながら何か言いかけた瞬間、珍しく伯父がぴしゃりと割って入った。

「いいじゃないか、食事ぐらい。店からのおごりだ」

伯父からの思わぬフォローだった。

私も含め、スタッフ全員がその言葉に驚きを隠さなかった。言葉にならない喜びを噛みしめている私の背後で、バックヤードのドアがガチャリと開いた。

「……!」

舞い上がりかけた私の心は、一気に地に叩きつけられた。ドアを開けて入ってきた男に見覚えがあったからだ。それはイェールの先端脳科学研究室の研究員、つまり、私の同僚であるブラッドだった。先週まで休暇に入っていた残り1人のアルバイトスタッフとは、彼のことだったのだ。

気まずい空気を打ち消すように、彼は皮肉っぽい笑みを浮かべてこう言った。

「やあ、久しぶり……だね、ナツ」

私の心は、イェールでの日々に引き戻されていた。ブラッドは、熾烈な競争が繰り広げられるあの研究室で、将来を最も有望視されたエリートだった。

ただし彼は、一癖も二癖もある性格でもよく知られている。包み隠さず言えば、周囲の目があるところで誰かをひどくこき下ろしたりする人間なのだ。そして、つい最近までその「誰か」として標的になっていたのが、私・小川夏帆だった。

ブラッドが口にする他人への当てこすりはいつも的を射ていた。彼の圧倒的な知性と追随を許さぬ実績に裏打ちされた正論は、周りに置いていかれまいと必死に努力していた私の心を激しく抉った。彼の言葉にいつしか私の心は擦り切れ、打ちのめされていった。

軽いパニックになりかけている私に気づかないかのように、ブラッドは冷ややかに言った。

「おれも〈モーメント〉のスタッフとして参加していいかな?その食事とやらに」

私はぐちゃぐちゃに散らばりかけた心をなんとか1つに拾い集めた。

「呼吸は意識の錨じゃ」——ヨーダの言葉が脳裏に蘇る。呼吸に注意を向けると、いくらか冷静さが戻ってきた。

ランチタイムにできる脳の休息法──食事瞑想

私たちは開店前の〈モーメント〉でテーブルを囲んでいた。それぞれの目の前には、クリームチーズを挟んだベーグルサンドと飲み物が置かれている。

「みなさんと一緒に食事ができることに感謝します。どうぞ召し上がってください」

不審そうな表情を見せながらも、彼らは食事をはじめようとする。

「あ、ちょっと待ってください。ここで1つお願いがあります」

慌てて私はつけ加えた。「もしよろしければ、食べる前に目の前のベーグルを、あたかも初めて食べるかのように、よ〜く見てほしいんです」

「はあ?」

訝しがる声があちこちから上がった。

「これは私の研究とも関係しているんですが、何よりも、この店を立て直すために必要なことなんです」

すかさず各々が不満を口にした。「研究とも関係している」という私の言葉を聞いたブラッドは、また意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべている。この男はどこまで私を追い詰めれば気が済むのだろう。

しかしそこで、またもや伯父が助け舟を出した。

「まあ、みんな、いいだろ?失うものなんて何もない、仕事ぐらいだ」

いったいどういう心境の変化なのだろうか。伯父のブラックユーモアを笑う者は誰もいなかったが、みんなは一様に口を閉じ、ベーグルに視線を落とした。

カルロスとトモミはその後もしばらくベーグルをじっと見つめていたが、ダイアナとクリス、そしてブラッドは、形ばかりの観察をしたかと思うと、さっさと食べはじめてしまった。

「ぜひベーグルの匂いや味にも細かく注意を向けてみてください。口の中に当たる感じ、喉を通っていく感じも……」

もはや誰も不満は言わないが、私の言動に納得している者は誰一人いなかった。私も手元のベーグルを眺めてみる。

「(そうよね、『初めて見るみたいに』なんて言われたって……)」

スタッフたちはみんな、ベーグルなんて毎日のように見ているのだから、これほど奇妙な食事もなかった。だが、これこそが「複数でやるのにはうってつけの方法」としてヨーダが伝授してくれた食事瞑想だった。いきなり「呼吸に注意を向けろ」と言われると現代人のほとんどは戸惑うだろうが、「食べている感覚に注意を向けろ」なら、かなりハードルは下がる。