実際、私たちの意識は、食事中にもいまここを忘れている。ヨーダはたとえ話として、ある旅人の話をしてくれた。

一人で旅をしていた男がトラに遭遇し、逃げ場を失って崖から蔦にぶら下がった。上からはトラが迫ってくる。下にも別のトラがいる。するとネズミが蔦を噛み切りはじめたではないか。旅人はふと崖の斜面に野イチゴがなっているのを見つける。思わず蔦を持たないほうの手でそれを摘みとって口に入れてみると、そのイチゴのなんとも甘かったこと……。

それくらい私たちは、いまここに目を向けていないということなのだろう。

私の目の前にあるのも、ありきたりのベーグルだった。

薄茶色でつるっとした表面。よく見ると、ところどころに凹凸がある。手に取って、匂いを嗅ぐ。渇いていた口の中に、少し唾液が出たことに気づいた。手で持った感じは?よくわからない。

ベーグルを口へ運ぶ。そのときの腕の筋肉の動きは?そう、何かを食べるときには、手を使って食べ物を口に運んでいる。当たり前のことだけれど、私たちは普段、そんなことすら忘れてしまっている。

ベーグルを噛みちぎる。噛み切られたその欠片は、どんなふうに口の中を動いているだろうか?ベーグルが口内の粘膜に触れる感覚。唾液がさらに増える感じ……。

当然、味も感じられる。小麦、チーズ、玉ねぎ、いつもよりそれらの味わいに注意を向けた。最後にベーグルを飲み込む。喉を通るときの感覚、胃の中に落ちていく感じ。

とにかくすべてのいまここに意識を向けるのだ。

しかし、私の心は早くも過去と未来をさまよいはじめる。

「(どうして?どうして目の前の食事にすら集中できないの?)」

ここまで自分の注意力をコントロールできないとは……。何よりそれが、私にとっては新鮮な驚きだった。 

雑念は「自動操縦の心」に忍び込んでくる

「スーパー!!そうかそうか」

週末、私は再びヨーダのもとを訪れていた。店では、極力おとなしく振る舞っているため、以前のような衝突はないものの、スタッフとの「壁」は依然として消えなかった。これまでどおり、お店全体はどんよりと疲弊した空気に包まれており、売上も好調と言うにはほど遠い。しかしヨーダに言わせれば、私が〈モーメント〉で1週間働けただけでも上出来らしい。どうやら復帰すらも難しいと思っていたようで、ずいぶんとうれしそうである。

スタッフとの食事瞑想を、私はその後も欠かさないようにした。といっても、全員で集まってベーグルを食べるだけだ。ただし、「ベーグルをよく観察すること」「食べる感覚を十分意識すること」という注意はするようにしている。

「食事瞑想はマインドフルネスのワークとしては、比較的ベーシックな部類に入る」

そう言ったかと思うと、ヨーダは山積みになった文献の下から、ゴソゴソと怪しげな小瓶を取り出した。中にはレーズンが入っている。

「有名なのはレーズンを使った食事瞑想じゃな。レーズンの色や形、匂い、食感、味をたしかめながら食べる練習をする。今回はこれを〈モーメント〉のベーグルでやってみたというわけじゃ」

「しかし、どうしてまた食事と瞑想を組み合わせたりするんでしょうか?」

私は先週から抱いていた疑問をぶつけた。

「いい質問じゃ。スーパー!!」

ヨーダはレーズンを頬張りながら言った。「いいか、過去や未来に注意が引っ張られた状態が続くと、心は疲労していく。これはすでに説明したとおりじゃが……もう1つ、わしらが気をつけるべきことがある。それは自動操縦状態じゃ。

ナツも日常生活の中で何気なくやっていることはたくさんあるはずじゃ。食べる、歩く、歯を磨くなどなど。じつはわしらの生活のほとんどは、これに占められておる。自動操縦モードで動いている飛行機のようなものじゃな。

では、肝心のパイロット、つまりナツの意識はどこをほっつき歩いとるかといえば、過去や未来におるわけじゃ。目の前のことを何気なくこなしているとき、心はいつもいまと関係のないところにある。だからこそ、自動操縦を脱して心のふらつきを減らすには、日常的な行為に注意を向けて、いまを取り戻すことが有効なんじゃよ。

(次回につづく)