「前頭葉」と「扁桃体」の
アンバランスがストレスを招く

「ふぉふぉふぉ、スーパー!!スーパーじゃよ、ナツ」

翌日以降もクリスが瞑想スペースに来ることはなかった。しかし以前のような敵意をもはや彼からは感じなかったし、私自身もクリスに対して悪い感情を抱かなくなっていた。メッタの効果も出てきているのかもしれない。夜中に目が覚めることも減ってきた。

その報告を聞いたヨーダは、いつもの奇妙な甲高い笑い声を立てて喜んでいる。

「何より、カルロスに改善傾向が見られるのがスーパーじゃな。マインドフルネスにはだいたい3つの経験段階があると言われておる。初期はいまここに注意を向けることに躍気になる段階。中期は心がさまよったことに気づき、いまここへと注意を向け直せる段階。カルロスはここに差しかかっておるようじゃな。そして最終段階が、努力せずともつねに心がいまここにある状態じゃ」

どうやら事態は正しい方向に進みつつあるようだ。しかし、私の中ではまだ不安が消えることはなかった。

「先生、たしかに以前に比べれば改善傾向は見られるものの、本当にこれでいいんでしょうか?いまだに、急に不安になることがあって……」

ヨーダはうんうんと頷いてから言った。

「ナツもこのまましばらく瞑想を続けてみることじゃな。マインドフルネスは不安のような脳のストレス反応にも、効果を発揮するからな。いくつかの研究でも、3ヵ月以上にわたってマインドフルネスを実践する長期瞑想者では、前頭葉と扁桃体が上下関係でなく、より対等でポジティブな関係をつくることがわかっておる」

「より対等でポジティブな関係?」

私は聞き返した。

ごく単純化した図式だが、前頭葉が人間の理性なのだとすれば、扁桃体は自らの恐怖の対象から守るべく活動する感情ないし本能である。

扁桃体は数億年前の魚類にも存在していたという、脳の中でも最も原始的な部位だ。通常は、扁桃体がストレスに過剰反応したときには、前頭葉がそれを抑えつける格好で鎮静化を図ろうとする。

「ナツは脳のストレス反応の原理を知っておるな。不安じゃとか、パニック発作じゃとか……」

ヨーダの言葉に私はドキリとした。かつて私が先端脳科学研究室でパニック発作を起こしたことを彼は知っているのだろうか。いや、わざわざ彼にそんなことを報告しにくる人間はいない。きっと知らないはずだ。

「……え、ええ。恐怖だとか外的脅威のようなストレス刺激が強すぎて、扁桃体が過剰に活動し、前頭葉がそれを抑え込めなくなると、交感神経に作用して身体症状が発生します。症状としては、動悸や過呼吸などが一般的です」

かつての私を襲ったのが、まさにその過呼吸だった。あのときの苦々しい記憶が蘇る。ヨーダは私の動揺にはみじんも気づかない様子で頷いた。