人気占い師のゲッターズ飯田さんから「歩くパワースポット」と呼ばれるほど最強の運を持つ、湘南乃風のSHOCK EYEさん。そんな彼の「運の磨き方」をまとめた『SHOCK EYEの強運思考』がいま、話題を呼んでいる。今回は、本書の発売を記念して特別インタビューを実施。「運は考え方で強くなる」というSHOCK EYEさんだが、楽しいことばかりの人生ではなかったという。承認欲求が強く自己肯定感が低かった彼が、ありのままの自分を受け入れられるようになるまでには、どんな出来事があったのだろうか。運命が切り開かれたタイミングについて聞いてみた。(取材・構成/川代紗生、撮影/疋田千里、撮影協力/穏田神社)

「歩くパワースポット」SHOCK EYEが考える運命が切り開かれるタイミング

承認欲求を捨てる必要はない

──SHOCK EYEさんが書かれた本のなかで、ひとつ、すごくびっくりした箇所があったんです。「承認欲求をエネルギーにして生きてきた」と書かれていました。

SHOCK EYE:「承認欲求を捨てたほうがいい」という人もいますが、僕の考えはその逆です。承認欲求は誰しも持っているものですし、うまく利用すれば自分を高められる武器にもなると思うんです。

 僕自身、自己肯定感は低かったし、誰よりも不安だった。けれども、承認欲求が人一倍強かったからこそ、動き続けて貪欲に活動できたんです。まあ、捨てようと思っても捨てられなかったということもあります。

 自分自身の持つ承認欲求を理解して自分を高めて、最終的に自分で自分を認められるようになれればいいんじゃないのかな、と。

「歩くパワースポット」SHOCK EYEが考える運命が切り開かれるタイミング湘南乃風 SHOCK EYE
1976年神奈川県生まれ。RED RICE、若旦那、HAN-KUNと共に「湘南乃風」を結成。ヒット曲「純恋歌」「睡蓮花」は幅広い世代で歌い継がれている。プロデューサーとしても、ハロー!プロジェクト、ジャニーズWEST、YouTuberのフィッシャーズなどへの楽曲提供を行う。近年では、インスタグラム上で会員限定のコンテンツ「Shrinegram」を運営するなど、音楽以外でも幅広い活動を行っている。著書に『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている小さな習慣』『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』(共に講談社)がある。

コンプレックスを武器にしたら受け入れてもらえた

──承認欲求やコンプレックスなど、そういったネガティブな感情をエネルギーに変えようと思うようになったきっかけはありましたか?

SHOCK EYE:僕にとってきっかけになったタイミングがふたつあって。ひとつは、やっぱりレゲエミュージックとの出合い。自分にとってすごく大きな出来事でした。

 僕が好きなイエローマンというレゲエ歌手がいるんですが、彼はアルビノの黒人なんです。黒人なんだけど色素が少なくて、肌が黄色く見えることから、イエローマンという芸名にしたんだそうで。彼はジャマイカ出身なんですが、アルビノであることが原因でいじめられたり、からかわれたりすることが多かったそうなんです。

──たしかに、黒人のなかでアルビノだと、とくに目立ちそうですね……。

SHOCK EYE:でも、彼はそれを逆手にとって、あえてイエローマンという芸名をつけて人気アーティストになった。僕にとってはそれが衝撃的で。

 レゲエをはじめた20歳くらいのころ、僕の周りには、日焼けして、ジャラジャラしたアクセサリーをつけて……みたいに、いかつい見た目をしている人が多かったんです。そんな人たちだらけのなかで、自分が色白で優男っぽく見えてしまうのがすごくコンプレックスで。

──たしかに、帽子を深くかぶったりサングラスをしたり、ワイルドなB系ファッションをしている方が多い印象です。

SHOCK EYE:でも、イエローマンの存在を知ったとき、ああ、こういう人もいるんだ、と思って。だったら僕も思い切って、自分のコンプレックスを逆手にとって歌にしよう、と決めたんです。

 あれはたしか、インディーズでソロ活動をしていたときでしたね。『Mr. White』という曲で。オチは下ネタになっちゃうんだけど、「色白なミスターホワイトは、日に焼けると肌が赤くなり日焼けできないけど、プレイボーイだからあそこはガングロ……」みたいな曲をライブで歌ったんです。

──周りの反応は……?

SHOCK EYE:大ウケでした。それまでずっと鳴かず飛ばずだったのに、その歌を歌った瞬間、周りの……普段あんまり声をかけてくれないような先輩からも「おまえすげー良かったよ」「いつもより真剣だったな」と言ってもらえて。

 そこから、「ああ、ありのままの自分を出してもいいのかもしれない」って思えるようになった。いままではがんばってかっこつけた曲をつくって見向きもされなかったのに、それよりも自分のコンプレックスを武器に変えて歌ったほうがずっとウケたんですよね。

 あの出来事は、自分にとって一つの起点になりましたね。