「元・日本一有名なニート」としてテレビやネットで話題となった、pha氏。
「一般的な生き方のレールから外れて、独自のやり方で生きてこれたのは、本を読むのが好きだったからだ」と語り、約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓した。
本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介する。

「退屈でどこにでもある日常」でも、満たされてうまく生きるコツPhoto: Adobe Stock

「何も起こらない日常」の尊さ

 本の中では大体、何か大きな事件が起こったり、すごい人が出てきたりすることが多い。

 それは当たり前のことだと思うかもしれない。だけど僕は、そこに不満があった。

 もっと何気ない、どこにでもあるような日常について書いた本があってもいいんじゃないだろうか。

 そんなふうに思うようになったのは、僕が昔から、派手なイベントが嫌いだったからかもしれない。

 祭りや運動会など、みんなが騒いでいる空間が苦手だった。特別な日に騒ぐよりも、特に何もない日に何もせずにだらだらしているほうが幸せだと思っていた。

 そんな「何も起こらない普通の日常が一番尊いのだ」という気持ちを後押ししてくれたのが、保坂和志の『プレーンソング』という小説だった。

事件なんて簡単に起こらない

『プレーンソング』の主人公は1人で2LDKの部屋に住んでいる。部屋が1つ空いているので、いろんな友達がふらっと泊まりにくる。

 話としてはそれだけの話だ。この小説の中では大した事件が何も起こらない。ずっと次のような日常の描写が続いていく。

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 そうすると横からアキラが、
「豊島園までって、歩いて行けるの?」
 と訊いてきて、つまりアキラは豊島園のことしか考えていないのだけれど、いつもと違ってその日のアキラには猫の話から外れていても豊島園という材料があるからそれはそれでかまわないようだった。
「一時間もあれば着くだろ」
「えっ、そんなに歩くの」
「おれ歩くの、好きだもん。
 アキラだって、池袋からうちまで歩いてきただろ。あの二月の真冬の夜に」
「だって、よう子ちゃんが──」
 と言っていると、“かしわ餅”という旗が看板がわりに出ている店があって、アキラは、
「ねえ、かしわ餅、買ってこうよ」
 と言い出した。
『プレーンソング』より引用

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 一般的に小説といったら「何かすごい事件」や「悲しい出来事」が起こるものだけど、『プレーンソング』にはそういうことが何も起こらない。

 それなのに、なぜか読んでいて心地よいのだ。

 僕らが生きている普段の生活では、大きな事件なんてそうは起きない。ということは、派手な事件が起こる小説よりも『プレーンソング』のほうが現実に近い。

 心の空白を何か大きなイベントで埋めようとするよりも、なんてことのない日常で心を満たすほうが幸せなんじゃないだろうか。

 この小説を読むと、そんな気分になってくるのだ。

「不幸の気配」を避ける

 保坂さんが『プレーンソング』を書いたときの話が、『書きあぐねている人のための小説入門』という本に書いてある。

『プレーンソング』で何も事件が起きないというのは、かなり意識的に書いていたものだったらしい。その理由は、「ネガティブな事件やネガティブな心理こそが文学」という風潮が嫌だったからだそうだ。

 小説は悲しい出来事との相性がよすぎるので、書いているうちに自動的に不幸の気配がしてきてしまう、と保坂さんは語る。

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 たとえば「『じゃあ、また』と言って、彼は歩いていった」と書くだけで、小説の中では「じゃあ、また」が二度と来ないように感じられてしまう。
『書きあぐねている人のための小説入門』より引用

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『プレーンソング』では、小説の持つ「ネガティブな磁場」を避けるために、「悲しいことが起きない」どころか、「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」という細心の注意を払って書いたそうだ。

 たしかに、『プレーンソング』からは不幸の気配は一切排除されている。何も起こらないのにとても美しい日々がただそこにある。まるで神の恩寵のように。

「プレーンソング」というのは、グレゴリオ聖歌のことを指す言葉だ。

猫のように日常を生きる

 僕が猫を飼うようになったのも、保坂さんの影響がある。保坂さんの小説には、いつも猫が出てくる。

 保坂さんは猫を何かの比喩として書くのではなく、「猫を猫としてそのまま書く」ということを意識しているらしい。

 猫は、物語や事件を必要としない。いつもただそこにあって完成している。猫は日常を生きている。余計なことを考えるのはいつだって人間だ。

 先日、テレビの猫番組を見ていたら保坂さんが出ていて、

「猫は、自分が世界のことを考えるときのすべての窓口である存在だ。猫がいなかったら何も考えられない」

 というようなことを語っていた。僕も猫が好きだけど、そこまでの境地には達していない。自分はまだまだ修行が足りないなと思った。

 何気ない日常の良さというのは、日々の生活に追われているとつい忘れてしまいがちなものだ。

「最近なんか退屈で面白いことがないな」という気分のときは、日常を美しく描いた本を読んでから、自分の毎日を振り返ってみよう。

 普段過ごしているなんてことのない日々の中にも、素晴らしいものはたくさん隠れているはずだ。

pha(ファ)
1978年生まれ。大阪府出身。
現在、東京都内に在住。京都大学総合人間学部を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターとプログラミングに出合った衝撃で会社を辞めて上京。以来、毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。
著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『夜のこと』(扶桑社)などがある。