これまでのSTAP細胞問題の取り扱いを見ていると、個人vs.組織の古い対立図式が浮かんでくる。

 2ヵ月半前、小保方晴子氏が雑誌ネイチャーに論文掲載と華々しくデビューした。そのとき、その所属組織である理研(理化学研究所)も相当なバックアップをしていたはずだ。その後、ネットなどで論文に対する疑念が浮かび上がってくると、理研は、STAP細胞の存在ではなく論文の体裁について調査委員会を立ち上げ、小保方氏に不正があったと認定した。これに対して、小保方氏の反論記者会見、そして16日には、共著論文の笹井芳樹氏の記者会見があった。

 笹井氏の会見では、同氏の小保方氏に対する指導責任が問われるというマスコミもあったが、おそらく小保方氏と理研をサラリーマンと会社の関係でとらえ、笹井氏を小保方氏の上司としてとらえているのだろう。

 このダイヤモンド・オンラインの読者にもサラリーマンが多いと思うので、STAP細胞問題をサラリーマンの視点見ている人は多いだろう。ただし、そう見ると、問題の本質を見逃してしまうので、本コラムでは全く違う、研究者一般の視点からみてみよう。

研究者ははっきり言って個人単位

 実は、これは筆者の経歴に関係する。筆者は、理学部数学科卒業後、当時文部省の付属研究所であった統計数理研究所に内々定し、1年近く見習い実習をしていた。実際、研究室・研究助手を与えられ、贅沢な境遇にいた。そこで学術論文もどきも書いている。

 それが大方向転回し、大蔵省キャリアとして入省し、その後は官僚だった。官僚は28年間、最後は官邸勤務後、官僚を辞め大学教授になった。官僚時代に、学会に所属し学術論文発表などを少しづつ行ってきたので、それらをまとめて、大学での学究生活に備えて博士号を取得した。社会人スタートは研究者、その後官僚、また研究者と大きく違う職場を経験してきた。

 研究者ははっきり言って個人単位である。共同研究を行うことはあっても、所属する組織に気兼ねせずに意見をいう。研究者同士で意見交換するときも、個人と個人のぶつかりあいだ。組織は基本的には関係しない。