番組を制作するプロデューサーに適合的な原点canと、学校の先生に適合するそれが相通ずるということについて、私は彼と仕事をするまで気がつきませんでした。それぞれの仕事におけるCANの違いはあれ、それはその道でプロになるために必要な大人CANであるからです。

 彼が番組の現場を離れると、今度は管理職になりました。そうすると、別の性格、能力が求められます。嫌なこともやらなくてはいけなくなったわけです。原点canの発揮がむしろ邪魔なものにすら思えるようになりました。

 そこで改めて自分の原点canに立ち戻って考えたときに、管理職としての道を歩み続けるのではなく、先生になる道を選んだほうが幸せになれると気がつきました。現在彼は社会人材学舎で、人々のキャリアを共に考える先生の仕事を、とても楽しんでいるように見えます。

原点can=好きこそ
ものの上手になれ

 原点canに比べると、大人CANのほうが変化させやすいと思います。「何ができるかよりも、何がしたいか」を大切にすべきだとする考え方があります。CANよりもWILLというわけです。間違いだとは言いません。しかし、何よりも大切なのは、「どんなときに楽しいか、快適か」ではないでしょうか。これこそが原点canが示すものなのです。

 もし、今の狭い視野の中で見出したWILLを必要以上に大切にすると、番組のプロデューサーから次の仕事として先生にたどり着くことはなかなか難しいでしょう。WILL発だと、意外な可能性はなかなか出てきません。さらにWILLに固執すると、いつのまにかそこで用いるCANに固執してしまいがちです。「教えることが好き」なのではなく、「教えることならできる」になってしまうのです。

 原点canは「何かができる」ではなく、「どんなときに楽しいか、快適か」です。まさに、「好きこそものの上手になれ」です。「好きだから、やってみたら意外とうまくできた」ということもあるのです。

 WILLは大切なものです。しかし、視野が狭い状態のままで出てきたWILLは限定的なものである恐れがあります。自分の原点の好き嫌いをもっと大切にして、思いもしなかったWILLを探してみるのも楽しいと思います。