『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』より

感動的な書籍を書いたからといって、その人の人格まで優れているとは限らない。特に論理的かつ人々の心に突き刺さるような思想を追求した哲学者たちを見ると、書籍に綴られている内容こそ感動的だが……本人の人格はどこか破綻していたり、社会不適合者の烙印を押されていたり、と「人格に難あり」と言い伝えられている哲学者たちは多く存在する。そんな哲学者たちの「偏愛エピソード」を紹介していこう。

浮気現場の詳細を手紙に書いてつづったサルトル

「実存主義とはなにか」などで知られる20世紀の哲学者サルトルは無類の女好きで有名であり、生涯をかけて多くの女性たちと同時に交際にしていたモテ男であった。

 サルトルは「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」で有名なボーヴォワールを内縁の妻のように連れ添っていたが、なんの悪びれもなくたくさんの女性と浮気を繰り返した。

 しかし、浮気を繰り返すことに関して、サルトルの中では明確な理由があったのだ。

「必然の関係(本命)」と「偶然の関係(浮気)」

 サルトルはボーヴォワールとの関係は「必然の関係」であると言い切っており、それ以外の女性たちとの関係は「偶然の関係」としていた。

 ボーヴォワールに対して「君との関係は必然だ。けど、偶然の関係も知っておかなくちゃいけない」という一見めちゃくちゃな(?)サルトルなりの理論があり、「こんな偶然の関係(浮気)があったんだけど、君にはきちんと報告するね。なんせ君とは必然的な関係だからさ」と、浮気相手と肉体関係をもった詳細をいちいちボーヴォワールに手紙で報告していたのだ。

 これに関して、ボーヴォワールを不憫に思う人もいるかもしれないが、ボーヴォワール自身も「偶然の関係(浮気)」を存分に楽しんでおり、浮気相手がたくさんいたようだ。