感動的な書籍を書いたからといって、その人の人格まで優れているとは限らない。特に論理的かつ人々の心に突き刺さるような思想を追求した哲学者たちを見ると、書籍に綴られている内容こそ感動的だが……本人の人格はどこか破綻していたり、社会不適合者の烙印を押されていたり、と「人格に難あり」と言い伝えられている哲学者たちは多く存在する。そんな哲学者たちの「偏愛エピソード」を紹介していこう。
教え子との不倫に走ったハイデガー
「存在と時間」などで知られるハイデガーが不倫に熱心であったことは有名な話である。
35歳当時、大学で哲学の教授を務めていたハイデガーは、当時18歳であった教え子の、ハンナ・アーレントと恋に落ちる。
年齢にして17歳差。そしてまだ未成年のアーレントにハイデガーは手を出してしまうのだ。
アーレントは、若く美しいだけでなく非常に頭のいい女性であり、その後、世界的に有名な思想家として活躍することになる。
当時ハイデガーは妻との間に2人の子どもをもうけていたが、アーレントが元々ハイデガーのファンだったこともあり、二人は距離を縮め不倫関係となる。
二人が住んでいたドイツのマールブルクという町は、小さな町であったため、不倫関係が周囲に知られてしまうと、ハイデガーは職を失ってしまうような状況であった。
それにもかかわらず二人は熱心に逢瀬を重ね、不倫愛に燃えていたのだ。
ハイデガーの妻は恐妻家で有名で、ハイデガーは不倫がばれてしまうことに日々ビクビクしていたようだが、不倫愛は1~2年ほど続いたとされている。
その後、皮肉にもハイデガーはユダヤ人を排除するナチスの党員となり、ユダヤ人であったアンナ・ハーレントはアメリカに亡命することとなる。
不倫とはいえ愛した男が、自分の民族を排除すべく「ハイル!ヒトラー!」と叫んでいた姿にアーレントはひどく胸を痛めたようであった。
しかし戦後再び、ハイデガーとハンナ・アーレントは再会を果たす。
この時も二人が不倫関係にあったかは定かではないが、人と人との対話を交え、和解したことは事実のようだ。
芸能人の不倫問題がメディアなどで積極的に取り沙汰される今日であるが、不倫問題に関して関係が他に知れ渡ることにおののいていたのは、哲学者も一緒のようである。