「ふろしき」「手ぬぐい」「巾着」「ふんどし」が
若い人に流行る理由

「ふろしき」「手ぬぐい」「巾着」「ふんどし」――これらの極めて“日本的なるもの”は、私が二十代の頃には入手することすら不可能に近かった。

 それらは、明治という「日本文化破壊時代」、大正という「西欧文化普及時代」を経て、戦後という「左翼全盛時代」をくぐり抜け、どこかで秘かに生き続けてきたのであろうが、高度成長期という一見華々しい時代に社会人となった一人の田舎から出てきた若者には、入手方法すら分からなかったのである。

 京都に、若い女性なら誰でも知っているといっても過言ではない弁当箱の専門店がある。
 売っているのは弁当箱だけであるが、実に多種多様な弁当箱を揃えており、この店を目当てに他府県から京都へやってくる女性も多いという。

 京都で弁当箱と聞けば、「今どきの流行り」として理解しやすい現象といえるだろう。
 きっと弁当箱や和風小物などを扱う伝統の店が、今風のファッションセンスを採り入れ、おしゃれな弁当箱を売り出して当たったのであろうと想像するのが普通ではなかろうか。

 ところが、この店は開店してまだ数年しか経っておらず、オーナーはフランス人なのだ。
 聞けば、近年、弁当箱だけでなく弁当そのものが欧米で人気となっており、それは単なるブームではなく、一部の人びとの日常生活に定着しているというのである。

「BENTO」「TOFU」も世界に

 弁当は、そのまま「BENTO」と呼ばれ、これももはや世界語となっているのだ。
 そういえば、「TOFU」(豆腐)もフランスをはじめ幾つかの国では既に辞書に載っているようだ。

 このような現象も、紛れもなく「時代の気分」を表わすものといえるが、注意すべきことは「時代の気分」に関わる現象やモノは、単なるブームではないということである。

 今、欧米先進諸国を中心に起きている「クールジャパン」というムーブメント、それが跳ね返って日本国内でもみられる本格的な日本伝統文化への傾倒は、単なるブームではなく、もはや文明史論的に語られて然るべき事象なのである。

 大胆にひと言でいうならば、今、世界は「江戸」に向かっているのだ。

 世界史の大きな変化は、始代―古代―中世―近代という流れで説明されてきた。
 私どもの時代の義務教育に於いても、それは同じであった。
 ところが、日本史はそうはいかないのだ。

 始代―古代―中世までは世界史と同じ流れをもっているが、中世→近代という流れにはならなかったということだ。

 中世と近代の間に「近世」という時代区分を設け、中世→近世→近代という流れでしか説明できない、独自の流れをもっているのが日本史なのである。

 今、海外の一部の学者は、世界史にも日本史と同じように「近世」という時代区分を設けるべきだと主張している。

 パラダイムシフト論の現時点の一つのゴールともいえよう。
 それは、日本史ほど顕著ではなくても、世界史に於いても「近世と呼んで然るべき流れ」が存在したことを発見したともいえるのだ。

 この日本史独特の「近世」とは、具体的にはいつのことか。安土桃山時代から江戸時代末までの時代を指すといって差支えない。

 近代工業社会とほとんど同義といってもいい近代西欧文明が明らかに行き詰まりを迎えている今、世界は俄然、日本の「近世」、即ち「江戸」に着目し始めたということである。
 そして、「江戸」のエキスに「次の時代」を描くヒントを見出しつつあるのだ。

 日本人だけでなく、世界の先進エリアの人びとにとって、「江戸」こそがクールであり、もっとも先進的な情報、知識、センスに満ちていると考えられているのである。