「女性の社会貢献熱が凄い!!」と、これまでに何度も言ってきた。昨年夏には、女性誌が軒並み「社会貢献特集」を組んでいることをレポートしたが、今年に入ってもその勢いはまったく衰えていない。

 そんなことを伝えていると、「なぜ、女性は社会貢献に熱心なのか?」という質問をよく受ける。理由はいろいろあるが、社会貢献の重要なテーマのひとつに、女性支援というものがあって、それも大きな理由のひとつではないかと思っている。

 世界にはまだまだ多くの女性が抑圧されていて、地域や文化圏によっては女性は、浮気をすれば殺され、女の子に勉強を教えれば殺され、女性として生まれたというだけで出生直後に殺されたりする。嫁が死ねば新しい花嫁が持参金を持ってやってくるというわけで、現在の嫁を焼き殺したりもする。生きている場所によっては、女性として生きることは文字通り、命がけなのだ。

「女性の美」と「女性の解放」が連動?
途上国支援の新たなキーワード

 そこまでハードコアな女性抑圧ではなくても、途上国の少女が学校に行くのはたいへんなことだったりする。ユネスコの推計によれば、世界中で読み書きできない人たちは約7億7000万人。このうち、3分の2が女性。女に教育は要らないと考える親がまだまだ多いということでもある。(たいていの場合、それは父親だ)

 実は、この日本においてさえ30年ほど前まではそうだった。日本の女性が普通に4年制大学に進学できるようになったのは1980年代に入ってからで、それまでは良家のお嬢様は短大に進学するものだという「常識」もあった。安倍元首相の奥様の昭恵さんが短大卒なのも、そんな理由からだろう。

 だから4大卒の女性は就職も不利。結婚も不利になるから、3年生になるとお見合いをするのが普通。そんな時代が、この日本でも30年くらい前まであったのだから、途上国において女性が教育を受けるということがどれほど大変か、想像いただけると思う。

 しかし、いっぽうで女性に対する教育が、途上国の貧困のサイクルを断ち切り、乳幼児の死亡率を低下させ、エイズやマラリアなどの伝染病を撲滅することに最も効果があることは、世界銀行や国連などの調査でも分かっている。であれば、女性が女性のために何かをしようと考えるのは自然の流れだ。ほとんどの女性誌が社会貢献に熱心に取り組んでいたり、数多くのラグジュアリー・ブランドがNGOを支援したりする。

 そしてまた、女性は「美しくなること」に対して非常に熱心だ。「カンダハール」という映画があって、タリバン政権下のアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストが、妹の命を救うために再度、アフガニスタンに入りカンダハールを目指して旅する映画だが、その中に女性の化粧に対する業とも言うべきモノを見せつける印象的なシーンがある。

 旅の途中で主人公はバスに乗る。タリバン政権下なので、乗り合わせた女性の乗客は全員がブルカを着用している。つまり、他人からは顔も肌も見えないのだが、それでも女性たちはブルカの下でルージュをひき、マニキュアを塗る。彼女たちにとって化粧とは、自分自身の意識の問題なのだったのだ。

 この女性の「自分自身の意識」というのは社会的な意識でもある。なぜなら、「社会性の獲得」=「女性の抑圧からの解放」だからだ。特に20世紀以降、「女性の美」と「女性の解放」は連動していた。シャネルもミニ・スカートも女性の抑圧からの解放だったし、ジーンズとTシャツもユニ・セックスという当時としては革命的な「男女同権思想」を象徴するファッション・アイテムだった。