岩本が近づいて行くと、隆嗣はその姿に気付いて通話を切った。

「伊藤さん、頼みますよ。あなたがいないと言葉が通じない」

「失礼しました。今夜は少々楽しんでいただこうと思いまして、手配していたんです」

「手配……ですか。一体なんの?」

「すぐにわかります。さあ、行きましょう」

 清義とお客が待つ水槽群の前に戻り、隆嗣は注文を聞いて店員に指示を与える。

「平目と三文魚(サーモン)を刺身で、海胆も生で人数分もらおう。それから……」

 宮崎が水槽の一つをじっと眺めているのに気付いて声を掛けた。

「そいつも頼みましょう」

「いやあ、この鮑は大きいねえ。美味しそうだ」

 さすが一部上場企業の部長さんともなると遠慮がない、内心苦笑いして注文を重ねる。

「鮑も人数分、清蒸で」

 清義が口を挟む。

「今日のお客たちは重要人物かい?」

「ああ」

「わかった」中国語での会話が判らぬ岩本たちを尻目に、清義は店員へ追加注文をした。

「龍蝦(ロブスター)の一番大きい奴を。それから、魚翅(フカヒレ)を用意してくれ」

 清義の太っ腹は相変わらずだ、彼の成金ぶりを知っている隆嗣は黙って見守った。

 長々と時間をかけて注文を終えた一行は、店員に案内されて2階の個室へと通された。

 広い部屋には10名以上がゆっくりと座れる大きな円卓が控えており、粉紅色のテーブルクロスが暖かく客を迎える。箸や取り皿、グラスなどと一緒に綺麗に折られたナプキンがすでにセッティングされていて、日本からきた遠来の客たちは、今夜の食事は最高のものになるだろうと予感させられた。

 彼ら3人は一様に濃紺の背広を着て無難な柄のネクタイを締めており、如何にも日本から出張で参りましたという格好であったが、隆嗣は厚手のジャケットに柄シャツというラフなスタイルだ。清義にいたっては、ジャンパーの下に長袖ポロシャツといういでたちだった。

 しかし、今日の午後に300名の従業員が働く大連瑞豊木業有限公司を訪問して、その設備の充実と大きさを実感した背広姿の3人は、その会社の董事長である劉清義を軽んじて見ることはなかった。木材会社の他に不動産会社や建設会社も経営している辣腕ぶりを紹介され、しかも、隆嗣と同じ40歳になったばかりだと聞かされた今では、この青年実業家へ羨望の視線を送っている。