(2006年10月、上海)

 浦西の高級広東料理レストラン、フロア奥の小ステージでは、真紅のドレスに身を包んだ若い女性が二胡の演奏を供していた。

 集中する眉間に刻まれた皺、小刻みに動いて2本だけの弦とは思えない様々な音色を紡ぎ出す左手の指、流れるように優雅な動きを見せる右手の弓、その艶美な姿態を含めた演奏に、二人はしばし会話を忘れて聴き入っていた。

 曲はテレサテンの『何日君再来』だった。そこへ黒服にネクタイ姿の紳士然としたマネージャーがペンを手にテーブルへ近付いて来たので、慶子は慌ててメニューを開いた。

「大連でお世話になったから、今日は私のおごりよ。好きなものを注文してちょうだい」

「そうだなあ、古老肉(酢豚)と魚の清蒸、それに、何か野菜があれば十分だよ」

 幸一は正直に自分が食べたい物を言ったつもりだが、慶子は承知しない。

「なによ、安いものばかり言って。遠慮なんかしないで……。いいわ、私が注文します」

 そう言って彼女がオーダーを始めた。彼女の中国語は徐々にだが成長しているようだ。出てきたのは干し鮑のオイスターソース煮やフカヒレスープなどで、高級食材がテーブルを埋める。そして、慶子がお気に入りという中国製白ワインのボトルも置かれた。

「こんな贅沢をしたら腹を壊してしまうな」

「それじゃあ、胃薬も買ってあげるわ」

 おどける幸一に向かって明るく言い放つ慶子。二人は高い料理を無駄にすることなく、楽しい晩餐に箸を進めた。

 あれから大連と上海に別れていた二人だったが、電話とメールの遣り取りを続け、時には中国ビジネスの壁に突き当たった互いの愚痴をこぼし合う友人となっていた。

 そして1ヶ月前には、慶子が視察と称して、幸一が常駐している大連瑞豊木業を訪問する1泊2日の大連出張を組んでくれた。

 日本のハウスメーカーへ直納する小ロット多品種生産に対応して、様々なサイズの木片を相手にミリ単位の切り込みや穴あけ加工などの細かな作業に集中する従業員たちを見て、慶子も感銘を受けたらしい。「中国も人海戦術の大量生産で市場を席巻しようという時代は終わりつつあるのね」と、経営者らしい意見を述べていた。

 工場を出てから夕食まで時間があったので、俄羅斯風情街へ案内した。帝政ロシア侵出時代の遺構を整備し直して異国情緒豊かな通りにしたもので、今では大連へやって来る国内外からの訪問客が立ち寄る観光地として賑わっている。

 尖った塔を頂く赤レンガのロシア風建築を勝利橋から眺め、程よい喧騒を生み出す歩行者天国の露天商を冷やかしながら、幸一と慶子は笑顔が絶えることなく肩を並べて歩いた。