「最年少記録」の悲しい現実

 私はエベレスト登頂の日本人最年少記録をつくりましたが、世界にはもっと若くして登頂している人がたくさんいます。最初は「すごいな、私より年下なのにもう登っている!」と感動していましたが、あとで私は現実を知ることになります。

 それは大人たちが、彼や彼女をエベレストに「登らせていた」ということ。

 幼くして登頂している人たちは、お父さんが探検家、あるいは両親が登山家というような家庭に生まれ育っています。その子が自分の意思で「エベレストに登りたい」というより、親が決めて、親に引率されて登っているケースが多いのです。

 さらに私がスポンサーを探す時のキーワードにしようと思ったように、「最年少」というのはキャッチフレーズになります。

 エベレストを目指すには大きなお金がかかりますが、子どもが登るというなら、普通の大人が登るよりスポンサーが付きやすいということです。さらに、成功したあとのその子の活動が、ファミリーを支える収入源となっていることさえあります。

 お金が目的で、親が計画し、子どもを山に登らせる。

 山は素晴らしいものだけれど、そんな状況で踏みしめた山頂がその子のその後にいい影響があるのだろうかと感じました。

 ある山で一緒になった子も、「登らされている」1人でした。
 キャンプに集まっているクライマーたちはみな、「これから山頂アタックだ!」などと緊張したりワクワクしたりしています。そんななか、彼女だけは本当につまらなそうにしているのです。

 誰ともしゃべらないし、誰とも交流しない。「ハーイ」の挨拶すらせず、1人でテントの隅でじっとしていました。気になって話しかけてみると、彼女は同い年だとわかりました。

 「本当は、山なんか登りたくないの。興味もないし、好きじゃない。学校に行って友だちと遊んでいたい。だけど、家族のためにやるしかない。最年少記録のために両親が何年もかけてがんばってきたプロジェクトだから、今さら後戻りはできないんだよね」

 話を聞いて、かわいそうでたまらなくなりました。

 未成年のクライマーには珍しくないケースだそうで、そんな子たちのまわりには、両親ばかりかプロジェクトにかかわる大勢の大人たちがいて、子どもはまるでチェスの駒みたいに動かされているのです。

 私も同じように日本人最年少を目指してはいるけれど、「登らされている子」たちとは違う。自分の意思と力でやることが、誰とも違う絶対的な自分の強みだと確信するようになりました。