ムラの論理という「病」に
蝕まれている日本人

 この「ムラの正義」は日本の伝統みたいなもので、たとえば、古くはロッキード事件の時の大企業が分かりやすい。事件が摘発され、某大手商社の総務課長と、秘書課長が逮捕された。2人は事件への関与が疑われた同社の会長や専務の自動車行動表などを破り捨て、「証拠隠滅」を図ったという容疑だった。2週間近く拘置されて釈放された2人は、会社のあちこちから「ごくろうさま」と声をかけられ、「英雄」として祝福された。若い社員が当時、「朝日新聞」の取材にこう述べている。

「企業防衛のために、トップの指示に従った社員が逮捕されるなんて……。僕がその立場だったら、同じことをしていた」(朝日新聞1981年1月5日)

「ムラ社会」では、「ムラ」を守る人は常に清く正しい。その逆に「ムラ」を裏切る人間は、私利私欲にまみれて汚れているとされる。業界の不正や悪習を「内部告発」した人間が総じて激しいバッシングに遭うのは、この「ムラの論理」があるためである。

 こういう考えは閉鎖的な業界であればあるほど強い。相撲協会はその典型だが、実はマスコミも負けていない。記者クラブ制度に代表されるように、この世界では、「ムラ」に入らないと情報にアクセスすらできない。

 つまり、貴ノ花親方へのバッシングというのは、相撲協会とマスコミという2つの「ムラ社会」が、「ムラの秩序を乱す者への憎悪」をこじらせた結果なのだ。

 なんてことを言うと、マスコミや相撲協会を特殊な社会だと言っているように思うかもしれないが、そんなことはない。「ムラの論理」というのは、何もこれらの業界だけではなく、日本社会全体が長い歴史の中でされてしまっている「病」のようなものだからだ。

 1921年、「タイムマシン」「宇宙戦争」などで知られる作家H.G.ウェルズが、「増子」と「野口」という2人の日本人と会って、教育について議論をした。その際にこの2人の日本人は自国の教育について、このように述べたという。

「日本人が子供を育てる方法は欧米の夫れと全く正反対である。日本人はその子供を本来の性質とまったく異なった方向に向けて了ふ。日本人の中心思想は従順と奉公である。我々のあらゆる感情や詩歌、数世紀に亙る伝統は忠誠――盲目的な没批判な忠誠、妻は夫に、下僕は主人に、そしてすべての臣民は君主に対して忠誠でなければならぬと教えるのである。此の忠誠は全く宗教的である」(朝日新聞1921年11月30日)