2017年の個展「神獣 〜エリア21〜」で驚いたのは客層の幅広さだった。近所の人、若い人、家族連れなど、普段アートを見ないようないろいろな人がきてくださったのは、メディアのおかげだ。
池坊流の家元・専好さんがモデルとなった映画『花戦さ』の劇中絵画を担当した影響で、お花関係の人やお年を召した方もきてくださった。
「情熱大陸」やXperiaのCMの影響もあっただろう。東京ガーデンテラス紀尾井町の関係で、電車の中吊りや近隣へのチラシ配布をしていただいたことも大きかった。
「すごい! こんなにたくさんの人にきてもらえるんだったら、やっぱりメディアに出られるなら出たほうがいいな」と単純に思った。
私は、アートが好きな人だけに評価されたいとは思わない。「わかる人だけわかればいい」とも思わない。動物と人でさえ魂は同じなのに、人同士に違いがあるはずもなく、それならみんなに見てもらいたい。
私は豊かな家庭で育っていないが、母は「借金してでも、やりたいことはやりなさい」とよく言っていた。決めつけずになんでも経験し、チャンスがあれば乗ってみなさいと。
メタセコイアの夢の人である高橋さんも似たところがあり、23歳の私に、「若い頃はお金を惜しまず経験することが大事だ」と繰り返し教えてくれた。
「声がかかったらすぐに動けるようにしろ。おまえは絵の才能はあるようだが、他のところはどうしようもない。人生経験が足りなすぎるから、なんでもやりなさい。画家だからという言葉に甘えているアーティストになるな。『私、変わってまーす』みたいに開き直るアーティストになるな。アーティストだって人である以上、礼儀も節度も必要だ。個性を発揮する場所と、そうじゃない場所の区別がきっちりできる人が、本当のアーティストになれる」
思うままに絵を描いていることが好きだった私は、最初は「なるほど」と聞いていたが、実感はなかった。メディアから声がかかるたび素直に応じていたが、それも「経験値が足りないのであれば、経験するしかない」という気持ちだった。
「メディアに見てもらえるというのは、すごいことだ」とわかってはいたものの、流れに身を任せながら、ひたすら絵を描いていたという感じだ。
だが、高橋さんや風土の人たちに手伝っていただき、メディア露出を含めたいろいろな経験をしているうちに、意識が変わっていった。
今は、メディアというのもさまざまな人に作品を見てもらうための大切なツールだととらえており、心から感謝している。
さらに30代になって、「ずっとメディアから声がかかるわけじゃない」というのもわかってきた。顔や体はただの入れ物、肉の塊だ。だから若さは永遠に続かない。木は枯れて、花はしぼみ、果物は腐る。人の若さも同じだ。
私はそれを、悲しいことだとは思わない。魂の成長と肉体はまた別のものだ。もしも、私の若さだけが評価されてメディアに注目されているのであれば、いずれメディアから声はかからなくなるだろう。
だが、私が年を取っても革新的なアーティストであることができれば、50歳になろうと80歳になろうと、メディアばかりかたくさんの人から関心を寄せてもらえるだろう。
つまりこれからの人生は、人としてどう成長し、どう生きるかが、ますます重要になってくるのだ。
「あいつ、また面白いことをしている」と何歳になっても思ってもらえるような生き方をしたいと思っている。